昨日の続きになるが、7歳の時に南西アラスカのシトカで暮らした時の愛の原型の話をもう少し続けたい。
当時、父からある日の晩に、こっぴどく怒られたことがあった。何で叱られたかははっきり覚えていないが、父が激怒し母が宥めていた。
50年前なので、はっきり思い出すことはできないが、父がその夜私を叱った後に、暗闇の中、家の外に出て行ってしまった。しばらくすると戻ってきて、今隣のロシア人墓地に行ってきたという。そしてお前のために祈ってきたといった。
夜墓地に行くことなど、怖がりで考えもしなかった幼い私であったこともあり、その時の父の静かな言葉は今でも思い出す。父は17年前に亡くなっており、残念ながら今となっては確かめるわけにもいかない。
それだけのことだが、最近になって、星野道夫氏の本などを読み、私の住んでいたロシア人墓地が、ネイティブのクリンギット族の由緒ある墓地跡に造られていたことを知った。
そうすると、父はロシア人墓地で祈ったと同時に、トリンギット族の霊地で祈ったことになる。ロシア人とクリンギット族は近世シトカ戦争で多くの血を流した。その墓地で眠っていた方々の個人史は全く知らないが、クリンギット族の神話を学んだりやロシア正教のイコンを見たりし、彼らの人生と魂のことを想いうかべる。
異文化の中で暮らした7歳。大地から愛され、父に祈られた私であるが、まだこの世でやるべきことが残されているようだ。感謝しつつ生きていきたい。
<愛の原型3/4>
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