イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

大地からの愛の原型、自然が自分を愛するとき!

2008-03-16 | 第四章「愛とゆるし」

 昨日は、本格的な春の到来を感じた。家の近くでも梅が満開であり、うきうきする。ただ、今年私は花粉症本格デビューとなり、嬉しさが残念ながら半減してしまった。

 花粉症になってマスクをしょっちゅうしていると、声をかけられることも多く、周りに沢山の仲間?がいることに気づく。残念なのは、我が家では花粉症は私ひとりであることだ。私だけが花粉症文化なのである。

 異文化?私が7歳の時、両親につれられて南西アラスカのシトカに約1年暮らしたことがある。不思議な異文化の中いると、人間のこころの防衛機制だろう、私もアラスカでは熱狂的な愛国者になったようだった。ちょうど今、花粉症を強調しているように・・・

 愛の原型。誰かから?何かから?ゆったりと愛された名場面。零下15度の外気を全く遮断し、シャツひとつでいられた暖房のきいた家。隣には誰も詣でることのない、ロシア人墓地があった。場所は街のはずれで寂しいところだった。近くに住む人は、白人もいたが、日本人に似たネイティブも多かった。

 よく家の裏で、一人で低い木に登り遊んだ。雪に耐えた木々の枝はハンモックのようであり、時々、枝の上でよこになり手を放し、ゆっくりと落ちるのを楽しんだ思い出がある。

 防寒具を付けていることもあり、その感触は大地に抱かれているようであった。

 当時は、家族や沢山の優しいアラスカの人たちの中で生活をしていたが、やはり異文化の中、喧嘩も経験した。学校からの帰り道、日本語で大きな声でどなったこともあった。家では相撲を愛好し、お客さんと相撲をしたりした。

 大地に抱かれる感触。この枝だけでなく、雪の中で転げたりする記憶もあり、アラスカでの大地から愛されるここちは、今でも愛の原型として根をおろしているようだ。

 人から、例えば母から愛された名場面も重要だが、こうした自然との対話の経験、深層から顔をだす、何かは何を語ろうとしているのだろうか。皆さんの経験は如何でしょうか?

 <愛の原型2/4>

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