1974年、私が大学4年生の7月に、友達何人かと文集を作ったことがある。執筆者の殆どが私も含め理工系であり、また小説だけの文集というちょっと変わったものだった。
その文集に入れていただいた私の小説は、短編小説でかつ未完という、今から考えると若気の至りの小説だった。ただ、当時の自分の内面や深層心理を考える上で、今でも大変興味深い。若いころの日記や文集は、すべて破棄してしまっており、貴重な財産でもある。
1974年、卒論・就職を控えての時期であり、自分のこれからの生き方を整理しようと企てていたようだ。かなり気負って、今から考えると異常なものであったが、それなりに自己統合を図った形跡がある。
その中のテーマの一つは、宗教が力を失った時代で、何を信じて生きていくかということであった。そんなテーマを考えたのは、自分の生育史そのものだと今は思う。
最近読んだ、湯浅泰雄氏の「日本人の宗教意識」(学術文庫)はとても役立った。このご本によると、日本の国は、戦国時代以前(仏教以前も含め)は宗教の国であったようだ。
中世の絶対権力者の白河法皇が、意のままにならぬものとして、加茂川の水、双六の賽、そして比叡山の僧兵を挙げているが、当時の宗教の力はものすごかったようである。
それが戦国時代100年の後、近世、近代、現代と続くが、政治が宗教を完全に支配する時代に大きく変わった。キリスト教の弾圧もそんな文脈で考えると、良くわかる。以前不思議な縁で親しくなった、あるお坊さんに言われたが、江戸時代に弾圧されたのは、キリスト教だけでなく仏教もそうだということだった。
西洋の啓蒙思想、科学、朱子学、陽明学等の影響を考えることは自分の中の近世、近代、現代の時代の影響を知ることでもある。
日本に生まれて、その近世、近代、現代の文化の影響は自分のこころの奥底までとどいているようだ。そして、その影響を整理整頓することはきっと意味がある。当然のように今日常の中で言われていることは、戦国時代以前はどうだったか・・・
このところ、自分には難しい世界に浸り続けていたようである。今日は、天気も良いし、ブログの写真でも撮りにゆきたい!
<日本人に生まれて4/4>
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