同じ現象を暗く解釈する人がいると思うと、明るく解釈する人もいる。コップに入っている水を、満杯のときと比べて少ないと解釈し悲観する人がいる一方、無くなった時と比べまだあると明るく解釈をする人もいる。
若い頃は、暗く解釈するほうが、何となく知的でカッコイイと思うようなところがあった。しかし、人生経験を積んでいくと、そう考えるのはどうかと思うようになってきた。考えてみれば世の中は暗いことが余りに多い。
今は、日々のこころの健康も考え、なるべく明るく解釈をするようにしている。これは、人生の知恵でもあるらしく、先日、あるところで偶然知りあった方と、話をしていたら、同じ意見であった。何も、「生き甲斐の心理学」を学ばなくても、あるいはポジティブ・シンキングという言葉を知らなくても、庶民の知恵として受け継がれていることもある。
さて、脳科学は、私にとって心理学や比較宗教学などの勉強から、興味が湧く学問と同時に、この5-6年、介護・福祉関係の仕事をしたこともあり、認知症等の方との触れ合いの中で、切実に思った学問である。
今年になり、何冊かの本を読み続けている。
その中で、脳の機能のとらえ方で2つの見方があることを知った。以下、「生きて死ぬ私」{ちくま文庫 茂木健一郎著、110ページから114ページを参照)
ひとつは、「心のあらゆる属性は、脳の中のニューロンの発火の特性だけですべて説明できる。」という、「認識のニューロン原理」説である。
それに対し、20世紀前半の方で、ケンブリッジで活躍した哲学者 C・D・ブロードはベルグソンの脳の機能は、日常に有効そうなものを特別に選び出し残す機能(制限バルブ説)と考えるアイデアを基に、次のような結論に至った。
「ある人の脳の中のニューロンが発火しない時でも、その人の心は存在する。それどころか、ある人の脳が全く消え去ったとしても、その人の心は存在しうることになる」。これは、変性意識等、意識の拡大の問題などを考える場合にも重要なようだ。
脳の損傷により、こんなことができなくなったと悲観する見方がある一方、できなくなっても心は変わらないと考える見方もあるようだ。
脳の治癒等を考える上では、「認識のニューロン原理」が、研究のモチベーションになると思うが、厳しい現実の中で、不治の病として絶望するよりは、制限バルブ説で、死後の世界も含め明るく考えるほうが良いこともあろう。
認知症がかなり進行した、Aさんのことを思い出す。暖かい居間で、のんびりと一緒にいるだけで、幸せを感じたものだ。
<身体の流れ3/4>
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