言葉の起源は、現世人類誕生以前どころか、数百万年前以前に遡れるかもしれないと、昨晩のNHKの番組で知った。雑音のように感じたジュウシマツの囀りも親の代から子の代に、文化のように受け継がれるパターンがあるという。
ヨハネ福音書の最初に出てくる次の有名な一節がある。「はじめに言(ことば)があった。言(ことば)は神と共にあった。」(日本聖書協会 新共同訳)
最近、脳科学の本を読んでいる為もあり、言葉の起源や仕組みに関しては、ますます興味が湧いてくる。
さて、昨日、信じることについてブログを書いたところ、信の字は人と言葉から成り立つとAさんから御教えいただいた。
確かに、自己と他者とのつながりで途轍もなく重要な働きをするのは言葉なのだろう。そして、カール・ロジャースの発案した、心の健康度を測ったりする7つの尺度の中にも、第4番目に<自己の伝達>が出てくる。
自分の、奥深いところの本音を伝えることで、自分も成長し、周りも明るくなる。
それが無いのが底辺のレベルで、中辺では伝達が増大し、高辺のレベルは、豊な自己意識が望むままに伝達される。という。また、底辺から高辺に上向いてくるのは健全だとも言われる。
昔の米国のホームドラマのように、奥さんに「愛しているよ」としょっちゅう言い続けるのも、米国の文化では健全なのかもしれないし、源氏物語の世界のように、好きな相手にポツリと和歌を送る流儀もあるかもしれない。
いずれにしても、豊な自己意識の伝達は、日常では大切だ。自分を上手に語る訓練は、自分の場合生涯の課題の一つである。
<対人関係4/8>
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尚、いつも参考にしていますが、今回は「生き甲斐の心理学」p41を参照させていただきました。