以前米国に出張に行き、同僚の米国人の車で移動したことがある。その時の車は、本当に下駄ばき風で、掃除など全くせず、車の床には土が溜まり、雑草が生えていた。動くのが不思議な感じであった。今でも、その強烈な記憶は、優しくしてくれたその方の暖かさとともにある。
日本人は、正月には車を念いりに掃除したりし、走る応接間といった感じのする車も多い。そして、今年の正月には、知人に超高級車に乗せてもらうチャンスがあった。
私は、生活で経済的に乗れればという位で、殆ど高級車への関心は無い。しかし、乗ってみると確かに凄い。そして、価格を聞いて唖然とする。
以前、福祉車両の運行管理の仕事をした関係もあり、車好きの方々と話し合うチャンスも多かった。人それぞれ、車への想いや価値観は本当に違う。
車というモノは、ある意味で単純であるが、人間の場合はもっと複雑だと思う。身体という物理的属性だけでなく、生育史をもった心と魂(人間の尊厳の核でもある)がある。
悩みの相談では、対人関係は一大ジャンルのようである。自分のことを考えても、夫婦、親子、職場、同志、友人等、対人関係があり、時には悩むこともあったし、これからもあるだろう。
自己肯定・他者肯定といった世界にいれば幸せだが、ちょっとのことで他者否定や自己否定の世界に行ってしまう。原因は、お互いの愛の原型(幼い時から若い時までに、生活上での愛し愛された場面ひとつづつをいい、それが現在のノウハウとなっている。)が違うということも大きいと、最近は思う。
人それぞれの、愛の原型の多様性を大らかに受け入れ意識し、互いに成長していければと思うが、現実は理論どうりに行かない。
ここでは、心の流れを引き続き考えつつ、対人関係を考えていきたい。
<対人関係 1/8>
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