イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

人の月の解釈、月の人の解釈!

2009-01-12 | 第三章「無意識の世界」

 昨晩、月が美しかった。夕方、東の空に雲とビルの間から昇ってくる月は、真ん丸で豊であった。

 夜がふけてから、駅を降りてからの帰宅の寒々とした道のりでは、真上近くに煌々と輝く満月が見えた。美しいが、厳しい感じがした。

 月を見て、古今東西の人々は様々な解釈をする。ウサギの餅つきは有名だが、世界各地では、カニとかヒキガエル、ワニ、女、・・様々に違って解釈されてるらしい。

 月を見て和む文化もあれば、怖がる文化もあるようだ。

 月を見て、阿倍仲麻呂は、遠く中国から故郷を照らす月を想ったり、天文学者は殆ど大気の無い死の世界を想ったり、気象学者は月の重力と潮を考えたりする。知識や置かれている立場によっても解釈は違う。

 同じ人が同じ月を見ても、その時どきで微妙に解釈や感情が違う。そして、湧きあがる感情も微妙に違う。自分の生育史上の月を想っても、平安を感じたり、怖いと感じたり、和んだり、空しく感じたり、暖かく感じたり様々である。

 月が人のように、意志を持ち感情をもっていたらと想像する。同じ自分(月)が、様々に解釈され、感情を露わにしてくる人々をどう思うのだろうか。

 人間のもつ、限界を寂しく想われるかもしれない。人は狭い生育史に縛られていると嘆くかもしれない。

 あるいは、ひとり一人にとっては真実の解釈や感情を深く理解し、その多様性を愛し、優しく想いやってくれるかもしれない。 

 私にとってのお月さま。後者の優しいお月さまであって欲しい。

<心の流れ4/4>

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