幼い頃に、両親に連れられて行った動物園。そこで初めて見た孔雀。そして羽を広げて美しい姿を見た記憶がある。昔の記憶は視覚の記憶が多いが、何故か、孔雀の思い出は父の声、聴覚の記憶である。
先日、人の少ない平日の夕方に多摩動物公園に行った。孔雀が放し飼いで、ひょっこり目の前に、美しい孔雀が現れた。
羽根を拡げないかと期待しつつ、しばらく子供のように、その美しい鳥を追い写真を撮った。
残念ながら、羽根を拡げず、孔雀は去って行った。写真は携帯の写真であり、後で気づいたが動きながらの写真で、すべてブレて写っていた。
カメラは人間の視覚のようにうまく写してくれない。
現在、「脳は美をいかに感じるか」(セミール・ゼキ著 河内十郎監訳 日本経済新聞社)を熟読中である。
その知識を使って脳の動きを考察すると、この場合は、眼球を通しての視覚情報が、視覚情報の分配を司るV1野というところを通し、V5野という視覚的運動処理中枢で、動く対象を認知し、並行して獲得したV4野などの色彩中枢等での認知を、その各野の処理速度にバラつき(ミリ秒)はあっても、最終的に統合的に認知していく。
本来、ただの波長で認識できないはずの色彩を認識し、現在のカメラなどでは実現が難しい、動体を鮮明にとらえ、それを統合的に感じる。しかも、孔雀を美しいと感じ、遥か父の昔の記憶とも、どこかで繋がる。
これだけのことを、簡単に成し遂げ、しかも科学で解明できるのは、その一端にすぎない。なんと神秘的なことであろうか。
しかしながら、冷静さを失い、うまく写真が撮れなかったことは残念であった!
<美の世界から3/4>
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