イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

こころの傷に、ちゃんと向き合って幸せ!②(受容の不思議 2/10)

2011-10-11 | 第四章「愛とゆるし」

 昨晩、内田樹氏の「最終講義」を読了した。6つの講義録(最終講義)が掲載されているのだが、最後の「日本人はなぜユダヤ人に関心をもつか」は内田樹氏の個人史をしみじみ語る場面があり、私もしみじみとした。

 内田樹氏は高校時代の一年上の先輩で、うる覚えの記憶で間違ってるかもしれないが、体育祭の時に縦割りのクラスで一緒で、出し物を作ったり振り付けしたりしたようだ。また、私の同級生が雑誌部に所属し、その関係で何回か部室で雑談したことも。

 それは兎に角、同世代の人が何を考え何を感じているかということは、下手な自己分析より時に大きな気づきを得たりし貴重だ。似たような社会環境・時代で育った同世代は、成育史が似ているのだ。今回感動したのは、1975年に、一つの時代が終をつげたことだ(ベトナム戦争終結の年、いちご白書をもう一度が流行った年)。そして。それから、内田樹氏はユダヤ研究と武術(合気道)の道に入ったそうだ。不肖私も1975年は大学を卒業し、サラリーマンになった年である。

 父と同じようにサラリーマンになることを選んだのは、ちょっと自己懲罰的な意図があるような気がする。恐らく、それは私の罪悪感の原型とも関係しているのだろう(実際にサラリーマンになると、全く違う世界であることに気づくが)。

 さて、今日の本題に移ろう。

 6歳の時に、目の前でA君が交通事故死を遂げる。そして、何故だか良く判らないが、自動車に対する変な不安。自己懲罰的なのだろうか、時に不安神経症的に若い頃は身体症状がでたりした。この事件が遠因としてあるかもしれない。それを、どのように解釈し、うみを出していくのだろう。

 「生き甲斐の心理学」は、まずは感情を大切にする。A君が交通事故に遭遇したとき、どんな感情をもったか・・・。A君が事故に会ったときの場面は、脳裏に刻まれている(黄色い帽子と半ズボンでランドセルを担いで走る)、ただ、その時に湧いた感情はずっと謎であった。プロセススケールが低いので、その場面の感情は湧かず、ガラスの向こうの景色を見るかのようなのである。

 そして、「生き甲斐の心理学」を勉強し、ロジャースの6条件の練習をすると、自分で6条件を整えつつ自問自答できるようになってくる。そして、ある日A君の亡くなった場所を通りがかった時に、偶然にもその時の感情が蘇ってきた。

 実に不思議な体験であった。その時の感情は単純な悲しみとかという感情ではなかった。喜びの感情に近かった。感情を体感し意味を考える・・・それが、真実に近づくための第一歩である。そのときは、悲しみの感情とか、後悔とか、そういう感情ではなく何だろうか疑ったものの困惑するだけであった。

 人には意識の世界だけでなく、無意識の世界もある。そして「生き甲斐の心理学」の防衛機制の知識を動員して、解釈しなおしすと次のようになった。

 6歳の私は、A君にいじめられていた(体力に劣る私が、A君のあとを追いつくのは大変だった)。それゆえ、A君が交通事故にあった時に、心のどこかに解放されるような、「喜ぶ感情」が沸き起こったのではないか。そして、とんでもない事件の中で、その感情が抑圧される(人の死をよろこぶことを抑圧する)。

 小学校に駆けて先生に知らせる。そんな行為も、防衛機制で考えると何かアリバイ工作のようであり、合理化のにおいがする。自動車が嫌いになるのは、自分がA君を傷つけるように感じるのだろうか、置き交えの防衛機制のようである。こころの世界は単純なようで複雑で・・・。さらに、6歳という年を考えると、エリクソンの発達の分類で罪悪感の年代。無意識の罪悪感の原型?

どうも、私は6歳の時に無意識の世界の中でいつのまにか罪悪感を味わっていたかもしれない。

 罪悪感のこころの問題は、U先生にお聴きすると、宗教・哲学の領域であり、臨床心理学で対処できる領域は少ないようだ。ただ、私は運が良いのかカトリックの信仰で助かった。

 こうして、沸き上がる感情を理解し、こころの中でA君と和解していけた。

 受容の不思議 2/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています。