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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

口をつぐむ父たちの謎・・・言霊文化を知るとスッキリ!(受容の不思議 10/10)

2011-10-19 | 第四章「愛とゆるし」

 昨日は四谷でU先生の「生き甲斐の心理学」の勉強会があり、そのあとで学友でもあるNさんの娘さんが出品されている展示会を観るために恵比寿に行った。普段は八王子での生活なので、めまいが(笑)!

 しかし、今回のU先生の勉強会はタイミングがピッタリで、丁度今考えていた問題(少年少女期に遠因がある不安感)を解決するのにとても役立った。

 テーマは日本の言霊(コトダマ)文化であった。結婚式で言ってはいけない忌み詞など、時々顔を覗かせる日本の古層の文化であるが、この文化を念頭において成育史を見渡すと、スッキリする体験をした。

 私の場合は、父のことであった。小学生の3年のときに危うく海水浴で溺れるところを助けてくれた水泳が上手な父であるが、何か口をつぐむところを感じていた(微妙な体感なのであるが、子供ごころに感じたのかもしれない)。自分の祖先は、昔和歌山で御典医をしていたなど語っていたが、伯父や叔母が語ることと(ぶどう畑の経営をする前は、瀬戸内海の島に本家があって・・)微妙に違っていた。

 一番不思議だったのは、亡くなる直前、父と二人で生まれ故郷の瀬戸内海を見渡せる岬の上の神社にもう出た時で、そこで父が語ったことは意外にも、父が誰か(恐らく父母?)から伝え聞いたと思われる民話だった。海族の侍たちが、海坊主と戦い続け深夜になる。だんだん、敗戦の色が濃くなり切羽詰った時、鳥が啼き、朝が来て海坊主が退散する。その時に刀のツカを見ると、目貫の鳥から血が流れていた。そんな話であった。丁度、父が病身にもかかわらず、会社のことで戦っていたので、そんな話をしたのかと思ったが・・・

 謎が溶けはじめたのは、今年の夏に実家で法要をするため、戸籍謄本をとったりしたのだが、その時に本家が、村上水軍にゆかりの島であることを知ったことである。森家の成り立ちを調べてみると、阿波水軍との関係もあったり、水軍・海族との関係がどうも深いようだ。でも、父は亡くなるまで海族のことは一言も話さなかった。おそらく、何かを抑制し口をつぐんでいたようだ。

 日本の海族の果たした役割、それは今から考えると、かなりポジティブに変わりつつあるが、江戸時代から明治・大正にかけてのイメージはどうだったのだろうか。口をつぐんでいた父の気持ちも判るような気がする。

 終生口をつぐみ、亡くなる前に、ポコっと抑圧・抑制されていた何かを話す。

 私も、気がつかないで口をつぐんでいることなど、いろいろ考えさせられる。私が亡くなってからも、子供たちが、それで悩んだり・・・あるいは、死ぬ前にポコっと話し(まだそんな機会はないが)、救われたり。そんなのが日本の文化なのかもしれない。

 さて、今日で「愛とゆるし」の30回を終える。放射能汚染の不安から、少年少女期が遠因の不安やそれを乗り越える宝物(これも少年少女期にあったり)を考えてきた。自分としては、何か底知れぬ不安からより解放されてきたように思う。これが皆さんにもお役に立てればと願う。

 最後に、ちょっと長いが、橋本治さんの古事記(講談社)の一節を引用しよう。祖先達が様々な悲劇に直面する中で、生まれた日本神話の一部である。この部分は、日本人への祖先たちからのPRAY FOR JAPANではないかと思う。

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 黄泉の国から脱出し大きな岩で黄泉の国からの通路を塞いだ後の、イザナミ(黄泉の国の女神)とイザナキ(男神)の会話である。

 岩をはさんでイザナキの命とイザナミの命はむかいあわれ、そしてイザナキの命は、死んでしまわれたイザナミの命にたいして、離縁のお言葉を申しのべられたのです。

 イザナミの命は悲しみ、そしてお怒りになりました。

 「愛しいわたしの夫であるあなた。どうしてそのようにひどいことをおっしゃいます。それを真実となさるのなら、わたしはこの先、あなたの国に住む人間を、一日に千人ずつ縊り殺してやりましょう。」

 そこでイザナキの命は、大声で誓われたのです。

 「愛しいわたしの妻、イザナミの命よ!あなたがそれをするなら、よろしい、わたしはこちらの国で、一日に千五百人の子供を生ませるため、千五百の産屋をたててやろう!」

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 受容の不思議 10/10

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