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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

親しくなることを避ける不思議な傾向!(愛のトライアングル 2/10)

2011-10-31 | 第五章「和解と平和」

 心理学者エリクソンは、その人格形成論で、23才から34才を愛、親密性、孤独感の時期としている。その時期の自分はどうだったかと思索するのもよいのだろうが、愛、親密性、孤独感の3つについて考えるのも意味があることである。

 このブログでも、忠誠心、アイデンティティ、自己混乱感の3つ、技能、勤勉性、劣等感の3つなどについても触れてきたが、この愛、親密性、孤独感の三つも深い繋がりを感じてしまう。

 20才の後半、社会人となり独身で関西に赴任していたころなど、同僚がどんどん結婚したりする姿を見たり、仕事もそれなりに忙しくなってくるなか、結構孤独感を感じたものだ。しかし、親密性はここ一つ成長せず、オクテであった。

 劣等感や罪悪感などの成育史上の問題もあったが、親密になること(なろうとしても含む)で辛い目にあった(と思った)経験もそれ以上に大きかったと思う。

 7才の時に私はアラスカに一年近く両親と妹で暮らした経験がある。その時の記憶は結構あるのだが、その中に隣に住んでいた可愛い女の子バーバラの思い出がある。英語もできず、文化も異なる中で当時8-9才であった私より身体の大きかったバーバラとは仲良し(親密)であった。

 アラスカは厳しい環境なので、人間関係は一般に親密だと聴く。確かに、小学校に通う時に濁流の側溝に落ちそうになったときにバーバラに助けられたりも。隣を訪ねクライネットを習ったり、逆に日本語を教えたりもした。帰国が決まったときに日本の本をプレゼントした記憶もある(今でも覚えているので、衝撃的だったかもしれない)。

 ちょっと甘い記憶なのであるが、結局はそれで別れてもう50年以上である。意識の世界はともかくも、深層心理の中で、別れの辛い記憶が、どこかで自分の親密性を阻害していたのではないかと今では思う。

 孤独を感じ、誰かと親しくなりたいとこころの何処かに思っているのだけれど、親密になりそうになると変に逃げる不思議な傾向。生き甲斐の心理学を勉強していくと、意外によくある話だそうだ。

 ただ、そうした自分の傾向と原因を自覚すると、簡単になおるともいわれている。

愛のトライアングル 2/10

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