台湾に先日旅行をするチャンスがあったが、その中で印象的だったのは朝のバイクでの通勤。私は関西人のバイタリティと同質のものを感じウキウキしたものだ。だが、この単純な明るい感情を得るには50年以上の時間がかかったようだ。それは、6歳の時の心の傷と関係していた。
心の傷は、事故や災害、あるいは日常の中のショッキングな出来事を通して形成される。3.11のような大災害の時に、心の問題が発生することは誰でもわかるが、決して特殊なものではなく誰でも一つや二つ経験するものだと思う。決して特殊な問題ではない。犬にかまれて犬が嫌いになったり、傷の影響は長くその後の人生に影響を与える。・・・私も6歳の時に友達と通学途中で、オートバイの事故に友達が遭遇し亡くなったためか、車の運転に抵抗を感じたりする後遺症があった(最近は全く気にならなくなったが)。
友達がオートバイにはねられアスファルトの道路に倒れた場面は、50歳くらいまで時々思い出したりした。人は魂(宗教の次元)、こころ(生育史の次元)、身体の次元から成り立っていると考えると、友達の死に接し、魂からの痛み(人間の持つ普遍的な原罪とか業とかいうものか)は当然あるが、もう一つ生育史からくる痛みがあった。それは臨床心理学、「生き甲斐の心理学」が対処する領域である。
亡くなった友達A君は、私と同い年で元気の良い男の子であった。もう一人のB君と3人一緒で新しいランドセルを背負い小学校に登校していた。リーダ格のA君は、ちょっと意地悪なところがあった。その日も、A君は通学途中の道路で、車道を無謀に横断する冒険(危ない遊び)を始めた。A君が車道を駆けて横断するとB君が続き私が続く。私は年齢の割に小柄で走りも遅かった。そして、A君はそれを、どこか楽しむようで(一つのいじめだろうか)、それを何回も繰り返す。そして、あの時、A君は車がそばまでに走って来ているにもかかわらず飛び出し轢かれてしまった。
6歳の私は事故を眼のあたりに目撃し、さまざまな感情が走ったが、その中で喜びの感情が何故か湧いた。A君と私の関係を考えると、半分いじめられていたので、安堵というかほっとした感情が起こったのも自然だと今では思う。しかし、私は当時その喜びの感情を周りの反応や倫理道徳の中で抑圧してしまった。都合の悪い感情を持つ自分に罪悪感を感じを忘れる。こうして抑圧が成立する(他にもさまざまな防衛機制が生じたと思うが)。抑圧がおこると、その場面を思い出しても、何の感情も湧かない、何か他人事であるよう(心の健康度を表すプロセススケールは当然低)。そんな典型である。
しかしながら、私は周りの愛に助けられ、その傷も癒されていったようだ(A君のお母様、両親、B君・・・)。しかし、何かが自分の中に無意識に残り、大学生の時になると心理学や文学、宗教に興味を持つようになったのは、そのせいかもしれない。何となく生じる自己嫌悪。そして、だんだんと自己否定的な気分であるが、その事故を言語化できるようになってくる。まあ、自己肯定的に言語化できるようになり、抑圧を深く解消できたのはこの2-3年であるが。
今、この自分の心の傷の経験を通して、あらためて感じたことは次の3つのポイントだ。皆様に参考になるのでまとめてみる。
①こころの傷を癒すのは、他人の支援はありがたいが、基本は自分である。他人ではなく(他人にはわかりっこない)自分の中に回答があり、出来事の解釈を自己肯定的にすることで癒される。他人のお説教、ましてや薬で根本的に癒されることはない(精神科の薬漬け報道を聴くたびに心が痛む)。
②こころの傷を形成する抑圧という機能を考えると、確かに負の面(14の防衛機制の中で、人のこころに害を及ぼすとされる筆頭が抑圧だが)は沢山あるが、翌日から心を安定しつつ生き抜けたメリットも見逃せない。また、生涯の自分の方向性に影響を与えるなど、私の良い意味での個性化に寄与している。
③生き甲斐の心理学の学びを通し、抑圧を開放できたことは貴重。これからの人生をより歪みなく生き抜くことができると思う。人から心理療法やカウンセリングを受けるのも良いが、自分自身で勉強しつつ勉強仲間の肩を借りつつ癒していくのは、遠回りなようで最短距離かもしれない。だから、教育事業を大切にしているのだが。
昨日と今日は抑圧をテーマとしましたが、あしたは抑制を・・・
心の柔軟体操 3/10