なんとなく普段から付き合っていた人が光って見え、逆に自分がつまらない存在に見える。そういう感情の原型は、どうも小学校の4-5年にあったように思う。エリクソンの人格形成論でいうと、8-12歳のころに技能(Competence)の時代を迎える。そしてこの時期に、ポジティブなものとして勤勉性、ネガティブなものとして劣等感が発達する。
しかし、自分の感情というのは言葉にしにくいもので、これが劣等感かといわれても、何か違和感がある。感情は瞬時に現れたとしても、それに前後して様々な心の動き(防衛機制等)が生じ、あたかも池に小石を投げたように波紋が広がるからかもしれない。
石川啄木に有名な次の歌がある。
友がみな 我よりえらく見ゆる日よ 花を買い来て 妻としたしむ
この歌を鑑賞すると、何か劣等感を中心に、さまざまな心の動きを感じる。単純に防衛機制と言ってはいけないかもしれないもので。それが芸術に昇華されている。因みに、チベットの死者の書の80自性から関連しそうな動きを次にあげてみた。
*他人の成功を憎む嫉妬の心の働き
*仕事を成功させようと思う心の働き
*得たいと思っても得ることのできない対象に執着する心の働き
*落ち着いた冷静な心と、喜びの2つの心の働き
*愛するものを守ろうとする慈しみの心の働き
*繰り返し、何度も何度もそのよさを考える心の働き
*好ましいものを見ることで快楽に耽ようとする心の働き
*ものを言いたがらない心の働き
(以上は「ゲルク派版 チベット死者の書 学研M文庫 83~88P」参考)
さて、還暦になるまで一応生き抜いてきた自分にとって、こうした劣等感はどのように克服しただろうか?エリクソンの理論を借りると、どうも技能が重要なカギを握っているようである。小学生の私がやったこと。振り返ってみるとコツコツと好きなことをやり続け、小さな成果物を作ったことがあった。それかもしれない。
多摩動物公園のチンパンジーの芸。群れの文化にもなっているナッツ割がある。親が子伝授するようであるが、何か微笑ましい。ヒトもチンパンジー以上だと思う。私もコツコツ何かを始めよう。
山あり谷あり 3/10