好きか嫌いかは、原初感情だそうだ。とかく、理屈で好きか嫌いかを考えがちであった自分だったが、生き甲斐の心理学を学んでいるうちに、湧き起こる感情を意識化するようになった。7-8年前からである。
絵画鑑賞療法を勉強する中で、自分がある種の黄色が好きなこと、そして、それが幼いころの記憶に結びついているのに気付いた。好きな色は、時に生育史との関係もあるようだ。そして、好きな色をベースにしたアイテムを身の回りに置いたりするように。そうすると何か落ち着く。心の防衛機制でいうと摂取と関係があるようなのだ。
ただ、好きという感情は気まぐれで、時と共に変わったりする。好きなアイテム自体の劣化もあるが、自分の志向も時として変わる。以前お聴きした話だが、千日回峰行を達成された某師は、修業を終えられた時に、道端の石ころですら手を合わせる気持ちになったという。芸術家の自伝を読んでいると、そうした場面を経験されていることもある。
自分の生育史を思い出すと、幼いころの自分の住まいは、今のように豊かでなかったが、何か不思議な好きで満たされていたように思う。雨戸の節目から差し込む朝の光。天井板の木目。雨の日の匂い・・・そういう風景は残念ながら今は得られない。映画でちょっとそういう雰囲気を味わうことはあっても。
自分の<好き>に囲まれる世界。こころが落ち着いたり、良い面もたくさんあるが、飽きるという現象がある。その処方箋は、時に逃げないで厳しい現実を直視し自己実現の道を歩むのがポイントだが、何か新しい旅をすることも。<好き>が輝き続けるためにも。
活発に生きる 2/10