昨日から、精神科のお医者様である、内海聡氏の「精神科は今日も、やりたい放題」(三五書房)のことを考えていた。一か月くらい前に薦められて読み、この日本の精神医療・内部告発の意味と自分の属しているNPOの責務を新たな想いで考えていた。
そして、あらためて本の帯の文言を読んだ。帯の裏には次の言葉がある。
「まともな精神科医に出会うためには、第一印象で医師を判断しないことと、何より人間性で精神科医を判断しないことが重要である。精神科医自身に癒しを求めてはいけない。もしこの本を読んでも あなたが精神科医にかかるのであれば、副作用の少ない処方にこだわる精神科医をこそ選んでほしい。」
私は、生き甲斐の心理学という臨床心理系の仕事をしているが、幸か不幸か、自分自身が精神科の治療を受けたことはない。なので、身をもって体験したとは言えないが、防衛機制などを勉強しているので、言わんとしていることはとてもよく判る。<精神科医自身に癒しを求めてはいけない。>。極めて良心的な言葉だ。
心の防衛機制は、心を安定させ生き抜く力を産みだすために重要だが、長い眼でみると悔いを残す失敗すr引き起こすことも。今日は、<置き換え>を考えているのであるが、<生き甲斐の心理学>のテキストに次の説明があるので引用してみたい。
<置き換え>: 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの心理、あるいは、理科の教師に好意をもつ生徒が理科を好きになる心理。
本来、袈裟は憎いかどうか理科は好きか嫌いかは、坊主や理科の教師とは別である。そして、個別に五感や感情を把握しつつ袈裟が憎いか、理科は自分に合っているかと判断するのが筋なのだが、人に引きずられてしまう心理だ。
怖いのは、この機制で自己実現のかじ取りが狂ったり、例えば命に係わる危機をきっちり感知できなくなることだ。ずるずると、本来さほど向いていない勉強をしたり、反対に向いていることを避けてしまったり。倫理道徳により、間違ったコースを周りが皆賛成したりすることもあるので大変だ。
五感・感情をきっちりと意識化する練習。日常の中では大切だと思う。昨日は夏至の薬師池公園に行った。素晴らしい風や花や・・・もあるし、時には不気味なほど大きなカエルのオタマジャクシを見たりした。蛇が出てこないか不安な場所もある。
五感とさまざまな感情に出会い、それを意識化する。俳句を一句、写真を一枚、親しい人との会話・・・なんでも良いが、とても大切だと思う。
活発に生きる 5/10