昨日、手にした坂東眞佐子さんの「朱鳥の陵(あけみどりのみささぎ)」(集英社)をゆっくり読んでいる。持統天皇を題材とした小説で最新作なので見つけて直ぐに入手したのだ。まだ、最初のところを読んでいるのだが、蘇我石川麻呂の乱で、山田寺で石川麻呂一家が自決し、その直後に追手の一人物部二田造塩が山田寺で石川麻呂の首を切り落とすシーンは引き入れられてしまった。さらに、この小説では、この山田寺で幼い持統天皇と母である遠智娘が衝撃のシーンを見てしまう設定なのだ。
遠智娘(石川麻呂の実娘であり、殺害者の後ろで謀殺に関わった可能性が高い天智天皇の妻)は、そのショックから心を乱し、しばらくして亡くなるのだが、持統天皇の<鉄の女>の人生も暗示しているようだ。
残念ながら、持統天皇は幼いころの、この辛い経験を歌にすることはなかった。ただ、万葉集の中に、同じ蘇我石川麻呂の血統で、持統天皇の異母姉妹の元明天皇が次の歌が収められている。時代や、背景は違うが、持統天皇と同じ蘇我石川麻呂の娘という観点から、持統天皇の経験を彷彿させられる。
ますらおの 鞆(とも)の音(おと)すなり もののふの 大臣(おおまへつきみ) 楯(たて)立つらしも
(ますらおの 鞆の音がする もののふの 大臣たちが 楯を立てているらしい)
不気味さというか、不安を醸し出す歌であるが、独断と偏見で恐縮だが、遠い石川麻呂の乱の出来事にも重なっているのではないだろうか。そんなことを想像してしまう。さて、万葉集の上記の歌の次には、元明天皇の姉の御名部皇女(持統天皇の異母姉妹で高市皇子の妻で当時皇子がいた)の次の歌が載せられている。何か希望を感じさせる歌であり、持統天皇の人生行路も彷彿できる。
我が大君(おほきみ) ものな思ほし 皇神(すめかみ)の 継ぎて賜へる 我がなけなくに
(大君よ ご心配なさいますな 先祖の神々から 後継ぎを賜っている 私がおります)
蘇我の血筋(石川麻呂からの)を大切にする姉妹の希望は、過去の恐ろしい出来事に囚われるのではなく、将来計画の姿のようだ。それ故に狂わず、慰められる。過去に固執するよるは未来に固執するという知恵なのだ。抑圧された過去を乗り越える法則といえるかもしれない。
(万葉集の引用等は、萬葉集(1)日本古典文学全集 小学館を参考にしました)
心の柔軟体操 10/10