40歳台の時ある本を読んでいたら、苦悩という言葉について説明していた。通常の問題は自力で解決できるか、あるいは避けて通れるかだが、自力解決するには歯が立たず、避けて通れない問題が苦悩である。そんなことを言っていたと思う。
普段であったら見落とすような説明がこころに残ったのは、自分が苦悩をまさに経験している最中だったからだ。
苦悩の最中。どうしたら脱出できるか。少なくとも、心を落ち着かせることができるか。
生き甲斐の心理学では、フォーカシングという手法を大切にしている。苦悩の最中にあり混乱している自分を落ち着かせ(あるいは大切な他人を支援する)る方法の一つである。
もっとも不安な問題(不安感の源泉)を特定する。そして、最悪のシナリオと最前のシナリオを冷静に思考する。そして、その中で自分の立ち位置を確認する。そんなことである(何だシナリオライティングに似ているとお思いの方もいらっしゃると思うが、一番の違いは感情に寄り添うことがある)。
最近の例であるが、福島原発事故調査委員会のレポートを読んだが、当時の政権中枢は最悪のシナリオを事故後いち早く作成した。危機管理の<いろは>かもしれないが理論的に的を得た対応だった。規模や正確性は違うものの、私も心を落ち着かせるためにフォーカシングで最悪のシナリオをそれなりに想定した(実態は知らされていなかったなぁ)。そして、それだけで結構こころは落ち着いたものだった。
フォーカシングの手法。一言でいうと何なのだろう。きっと、それは<腹をくくるため>のプロセスなのだろう。
<腹をくくる>。私はカトリック信徒なので、聖書の名場面をいくつか思い出す。中でもルカによる福音書の受胎告知は、天使ガブリエルとの対話の中でマリアが腹のくくる(神を信頼する)私の一番好きな場面である。
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」
山あり谷あり 7/10