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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

感情をたどる旅はとても大事!(旅の意味① 6/10)

2013-11-04 | 第八章「魂と聖霊」

 暗い感情を明るくする知恵がポケットにたくさんあることは幸せである。旅という切り口からも、考えてみればいろいろあるかもしれない。昨日の汚れと禊などは、伊勢神宮まで行かなくても、近くの神社・仏閣・教会でも充分見出されるかもしれない。そして、参拝者の目線から考えても、実に素晴らしいデザインのように思われる。大きな神社にはいくつも鳥居があり、禊橋があったり、摂社があったり。有名な大木があったりする。感情のシミュレーションというか、万人が暗い気持ちできても、明るい気持ちで帰れるように実に練られて配慮されているなと思う。

 さて、旅での感情のシミュレーションについて、もう少し考えてみたい。先日お聴きしてこんな旅もあるかと感動したのだが、ウィーンに第9の合唱を歌いにいくツアーがあるそうだ。これなどは、ベートーベンの第九にある、暗い感情を明るくする何かを実際に旅で体験し実現するようだ。

 ベートベンが耳の病気で聴力を失っていく中で、交響曲を作り第9合唱付きを作る。その血と汗からくる実際の感情の流れは、ベートベンだけの世界なのだろうが、ベートベンの、そうした苦悩から生まれた芸術作品は、多くの人にこころに響く何かを伝えていく。そんな第九を、限りなく追体験しエッセンスに肉薄する旅。素晴らしい企画だと思う。

 ただ、ベートーベンも良いが、日本人の感性に根ざした旅は捨てがたいものがある。「もののあはれ」や「幽玄の美」を調べていたら、Wikipediaに次の西行の歌の説明があった。

 『旅宿月(旅路で野宿して見る月)』と題する歌において、「都にて 月をあはれと おもひしは 数よりほかの すさびなりけり」<都にいた折に、月を“あはれ”と思っていたのは物の数ではない すさび(遊び,暇つぶし)であった>と詠んだ。これは西行が、自身が都に住んでいた時に、月を見て、「あはれ」と思ったのは、すさび=暇つぶしでしかなかったと詠じ、旅路での情景への感動を詠んだ歌である

 旅に出て、都では心の防衛機制で見えなくなっていた、本当の月の美が、旅の中で偶然のように感じ取られる。これは、不思議な出会いの歌といってもよいのだろうか。先日行った、八王子城址の御主殿の滝で私が感じたものも、実は後にひいているあはれかもしれない。

 祖先を含め、多くの人が感じる自問自答。「何のために生まれてきたのか」という問いは、自己実現のための重要な問いかけにつながるのだが、滝で感じたあはれはプレゼントだったかもしれない。

 旅の意味① 6/10

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