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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

終(つい)の棲家と知恵!(旅の意味② 10/10)

2013-11-18 | 第八章「魂と聖霊」

 昨日は、久しぶりに日曜日をのんびり過ごした。夕暮れも早くなり、5時過ぎにはお盆のような十五夜の月が顔をだし、何とも嬉しかった。

 そして、夜はダスティン・ホフマン監督の「カルテッド:人生のオペラハウス」のDVDを観賞した。

 イギリスのビーチャムハウスというグループリビング(日本にはない自立的なホーム)を舞台にしたウィットと楽しさに溢れた話である。音楽家がリタイアした後に過ごすホームで、大邸宅には広い庭があり、ミサができる聖堂があり、そして音楽も楽しくできる素晴らしい環境がなんとも言えなかった(私も、かつて日本にグループリビングをつくりたいという想いをもったこともあるので)。

 ダスティンホフマンは私の学生時代に「卒業」で颯爽と登場したが、年をとってからこのような映画を監督・制作するとは・・・何か人生を共にしているようで感動した。

 さて、エリクソンは人生の最後の段階(61歳以上)を知恵、完全性、絶望感の時代とした。人間の生物としての限界が迫り、あの世との境界の時代といってもよいかもしれない。

 私も還暦を過ぎて、やはり体力や気力などの衰えを感じ始める。既に歩んできた人生行路を大幅に変更することも現実的ではなく、絶望感とか嫌悪感も今までとは一味違うようである。しかし、かぐや姫ではないが、宗教や哲学を信じるものにとっては、決してネガティブだけではない世界も広がり出す。

 高校生になったころ、88歳で祖父が亡くなった。亡くなる一ヶ月前くらいだったか、素晴らしいあの世が見えたなどと楽しく言っていたが、私も同じような年になると、何かが見えてくるのだろうか?楽しみでもある。

旅の意味② 10/10

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