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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

幼い頃の疑惑感のルーツ!(旅の意味 ②3/10)

2013-11-11 | 第八章「魂と聖霊」

 エリクソンは2-4歳の時に、意思力、自律性、疑惑・恥辱が育つという理論を掲げている。

 私の2-4歳。当然父母の影響もあるだろうが、外祖父母の家がとなりにあったということもあり、祖父だけでなく、祖母の影響も大きかったのかなと、最近考えるようになった。実は、祖母は8歳の時に亡くなったこともあり、自分の意識の世界ではとても印象が薄かった。しかし、母の話を聴いたりすると、祖母が誰よりも私を大切にしたところもあり、私にとって大きな影響を与えてくれたことは間違いない。

 ところで、祖母は京都で育ちで、東京の祖父と結婚した。祖父母は東(あずま)男と京(きょう)女だったのである。そして、最近県民性の勉強をしたが、祖母はどうも根っからの京都人で、育て方も頑として京都風であったようだ。

 幼い頃なので、余り記憶がないが、感情が細やかで食べ物などにいろいろ口を出された印象が強い。当時は感染症で命を失う人も多い時代だったこともあるのでようだが、お祭りでべっこアメを幼友達にもらって食べようとしたところを強く止められ、べっこアメを地面に落とした悔しさを今でも覚えている。

 大阪人は値切ってものを買ったりするが、京都人は値切らないかわり、必要な物以外は買わないという美風があるようで。祖母はとても優しく繊細であるが、心をなかなかオープンにしないところもあったようだ。

 私にとっては難しい人であったが、お菓子をくれたり優しい祖母でもあった。一度喧嘩したあとだっただろうか、祖母が私を庭に呼んでちり紙につつんだ甘納豆をくれたことがあった。

 疑惑感というものを意識するようになったのはいつのことだろうか。もちろん生き甲斐の心理学を学ぶようになると、自然に意識するようになるが、私の場合かなり若いころから何か意識することが多かったようだ。人一倍くよくよ考えこんでしまうのだ、その原型形成には祖母は随分影響を与えているようだ。

 そんな私であるが、社会人になって、営業の仕事から始めることになった。

 営業はあたり前だが、くよくよ考えているより、まずは行動の仕事である。そして、意思力を鍛えつつ行動することで自分のちょっと病的な傾向も変わってきたようだ。職業につくメリットはいろいろあるが、私にとっては貴重な経験だった(行動療法みたいだった)。

 さらに、営業に慣れてくると、関西で働いていたこともあり、共存共栄の思想を身近に感じることもできたのはよかった。最近ではWin-Winの関係などとビジネスの世界でも言われる。生き甲斐の心理学でいうと、あなたもOK、わたしもOKという自他肯定の思想である。これにより、疑惑感を健全なものに育てなおしてくれたようだ。

 疑惑感は人間関係を破壊したり、自己嫌悪を増長したりするところもあるが、健全であれば、現実吟味力を育て気持ちよく生きる糧となる。

  さて、祖母の京都でのありようは、殆ど知らないでいる。ただ、祖母の父の職場や家名や簡単な由緒くらいだ。今度京都に行く時には、ゆかりの地を訪れてみたい。

旅の意味② 3/10

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