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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

子を愛する母の気持ち!(愛を思索する旅� 1/10)

2013-11-30 | 第九章「愛」

 桑名で多度大社と天武天皇社に寄った感動は今も続いている。持統天皇熱がまたも復活したようだ。

 持統天皇が重臣の反対もあった中、伊勢行幸をされたのは47歳のときであった。そのときは天武天皇が崩御され、大津皇子が亡くなってから6年。一人息子の草壁皇子が亡くなって3年たった頃である。因みに、藤原不比等33歳。孫の文武天皇9歳。

 多度大社の創建は5世紀中頃とされているが、1571年に長島一向一揆で織田信長に焼き討ちをされ、灰燼に帰しているので、当然ながら当時の記録等も残っていないようだ。

 そんな中、私はいろいろ妄想してしまう。壬申の乱で二ヶ月半ほど戦略拠点の桑名郡家で持統天皇は滞在したのだから、伊勢行幸のおりも、近くにこられたのではと思ってしまう。壬申の乱の時は、持統天皇27歳、夫の天武天皇(当時は大海人皇子)は41歳、大津皇子9歳、草壁皇子10歳である。それは伊勢行幸の20年前で、もう一昔の話であっただろう。

 そして、戦略拠点から約10Kmの綺麗な多度山の山麓にある多度大社にも心を寄せたのではないかと妄想してしまう。

 日本神話に出てくる天照大神はよく、歴史家の間でも持統天皇を投影したのではないかと囁かれている。当時の律令国家の必須であった日本歴史やイデオロギーを考えても納得できるからなのだろう。

 さて、多度大社の主祭神は天津彦根命(アマツヒコネノミコト)である。この神様はアマテラス大御神と弟スサノウとの誓約(うけい)の際に生まれた5人の男神の一人なのである(アマテラス大御神の髪飾りから生まれ、スサノウとの子ではないという意味深長な話ではある)。私はなんとなく草壁皇子が投影されているように感じてしまう。

 さらに、この草壁皇子が投影されたかもしれない天津彦根命(アマツヒコネノミコト)の子は天目一筒命(マメノマヒトツノミコト)であり別宮、一目連神社で祀られている。何となく文武天皇が投影されているように感じる。この神様は金属、武器に関係する神様でもあり、昔の鉄は国家なりではないが、日本の統治に関係が深いように思われてならない。

 また、御祭神、天津彦根命(アマツヒコネノミコト)は本宮多度神社に祀られているが、オモダルノミコトとカシコネノミコトが相殿として合祀されているとのことである。神代七代で6番目に生まれた、男神と女神なのであるが、イザナミ、イザナギの命が7番目であることを考えると、アマテラス大御神から考えると祖父、祖母になる。持統天皇から考えると4名の祖父母として、皇極天皇(女帝)、舒明天皇、倉山田石川麻呂が挙げられるが何かこれまた投影されているのではと考えてしまう。

 先日は、多度大社に短時間で参拝しただけなのだが、資料を調べると、織田信長による焼き討ちで灰燼に帰してしまったが、神事などはかなり今でも大切に残されている。五月の連休のときの、御例祭には不思議な上げ馬神事や神児さんが登場したりする。神児は草壁皇子を投影しているのでは・・など、これまた妄想してしまう。

 本当のことは当然よく判らないが、千年以上の時を経て、私は持統天皇の子供への愛を感じてしまう。美しい白馬伝説も何か白妙の衣を彷彿してしまう。

  

愛を思索する旅� 1/10

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