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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

劣等感に打ち勝つ原型!(旅の意味② 5/10)

2013-11-13 | 第八章「魂と聖霊」

  生き甲斐の心理学を学んでくると、自分の生育史に興味を持つようになる。ふと、何気なく思い出す幼い頃の記憶は、学ぶ前はただ時間とともに通り過ぎる風景のようだったが、エリクソンの理論やロジャースの理論をもとに、楽しくその意味を深めていくと、急に人生の彩(いろどり)が輝くことがある。

 世界の歴史、日本の歴史もそうだが自分の生育史も人が生き抜く大きな知恵を授けてくれる。

 さて、エリクソンでいうと、8歳から12歳は技能、勤勉性、劣等感の発現する時代とされている。小学校の中学年から高学年のころだろう。私にとっては、約一年のアラスカでの生活の後、日本の小学校に戻り両親や庭の向かいの祖父母の家を中心にした生活であった。祖母が8歳の時に亡くなり、そのあと伯父一家も暮らすようになり、従兄弟との交流も深まり、大家族のような時代でもあった。

 そんな中、私は体が小さく、成績も中くらい。先日小学校のクラス会で思い出したが、学級委員になるなど夢のようで、叱られることが多い生徒だった。そして、父や祖父が優秀だったこともあり、劣等感が結構強かった。

 夏になると、小学校ではプールが開放されて泳ぐ練習ができる。父は、瀬戸内海に面したの広島県の生まれで、スポーツも得意だが、水泳も上手で良く溺れかけた人を救出した話をしていたことを思い出す。私も、そんな風になりたかったが、プールでは顔を水につける程度。そして、やっと手足をばたつかせ前進出来る程度になったばかりだった(息継ぎができない)。

 そんな10歳の夏休みに、伊豆半島の今井浜で家族旅行をした。そして、父に連れられて浮き輪を使っての海水浴。ちょうど台風が接近してきたところで、波は想像以上に高かったが、見事に快晴であった。

 そして、浮き輪で飛び込み台の近くを通過しようとしたときに、高波で浮き輪もろとも水中投げ出された。ただ、幸運なことに息を吸い潜水をすることを覚えていたので、海中に投げ出されても水を飲まなかった。とはいえ、飛び込み台の水中部分の丸太に引っかかってしまう。

 眼を水中であけると、海藻がゆらめいていたが、身体の自由がない。何も考えられない空白の時であった。

 が、次の瞬間、父が私を見つけて丸太から私を引っ張り出してくれた。そして、海面に出た時に大きく息をしたのを覚えている。

 この恐怖の場面は、時折思い出すのであるが、生き甲斐の心理学を学んでから、その意味をときどき考えるようになった。初めは、どうも当時の劣等感からの防衛機制からかネガティブにとらえたが、海面に出た時の感情を思ったりするうちに、これは劣等感の原型というより、別のものかなと考えるようになってきた

 つまり、拙いながら息を止めることを覚えていたのが、救出劇の一部と考えたのだ。

 劣等感を解消するのは、例えばコツコツと技能を高めたりすることで不思議に解消できるものである。私にとって水泳は、決して嫌いなことではなく、息を止めるだけでなく、その後も息継ぎを覚えたり遠泳ができるようになったりで、それなりに楽しめるようになった。

 劣等感は他人と並び評されることから生まれるが、例えば父や祖父は、各々個性を生かし建築関係の人生を立派に生き抜いたと思うが、私は私の個性があり血筋は繋がっていて別なのである。なにも父や祖父と同じようなことをするために生まれたのではない。自分に向いた何かをするために生まれたのだと思う。

 自分は自分というとエゴイスティックと思われる人もあり、また、そこまでいかないまでも、世のしがらみ故に他者との妥協も必要だという人もいる。

 ただ、心理学的にいうと、自他混合は健康的ではない。自分と他者は別。哲学の世界に踏み込んでしまうが現象論的に自分を把握することが大事だと思う。

 そして、他者とのバランスは大事であるが、一度だけの人生を考えて私は私と、割り切るときもあるように思う。不安を乗り越え、自分の道を歩むのは難しいことだが、私の場合はカトリックの信仰が大きな支えになった。宗教や哲学は、人生の見通しをよくするためにも掛買いのないものだと思う(ちなみに日本の道徳教育が話題になっているが、超一流の比較宗教学の視点をとりいれてやっていただければと思う)。

 そんなことを考えつつ、あの時の救出の場面を思い出すと、実に不思議な体験だったなとしみじみ感じてしまう。

旅の意味② 5/10

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