イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

アラスカに行きたい!(旅の意味③ 7/10)

2013-11-25 | 第八章「魂と聖霊」

 東京タワーにひとり遠足に行った日の午前。私は、Oさんに紹介されて六本木のFUJIFILM MUSIUMに初めて行った。お目当ては、松本紀生さんの写真。確かに、素晴らしい写真の数々。自然の光の美しさ、生命に対する眼差し、・・・直球で胸に飛び込んできた。

 帰ってから早速、「アラスカ無人島だより」という本をアマゾンで購入。昨晩、それが配達され読むことができた。自分の中にあった、もやもやとした想いが結晶化するようで、松本氏のメッセージがストレートに胸に届く。

 人は、四次元空間の人生を旅する旅人のようで、六本木や東京タワーを散策していた私の頭の中は6千年前の芝や、江戸時代の増上寺、1958年ころの東京タワー、そして1958年に東京でなく南西アラスカで暮らしていたころのことが映画のような流れて、何か脈絡のない状態であった。

 それが、松本氏のメッセージでスキッとしたようだ。

 メッセージはアラスカの豊かさである。恐らく、現在、地球に残された最後の砦なのだろう。

 アラスカで暮らした1958年当時の日本は貧しかった。アイスクリームもソーセージも実はまがいものであったことをアラスカで知った。釣れない釣り堀の経験はあったが、アラスカではろくな餌をつけたわけでもないのに簡単に魚が釣れる(外見は悪いが美味しい)。

 喧嘩やいじめは日本でもアラスカでも、あまり変わらないが、いざというときの人助けの共助の文化は強烈で、私も側溝に落ちそうになったときに助けられた。そして、豊かな本当の自然。

 今の日本は物理的には、当時のアラスカを確かに凌駕しているようだが、何か満ち足りない豊かさだと思う。オモテナシもあるが、もやもやしている。

 世界的な宗教学者の、エリアーデは、北米のネイティブの不思議なポトラッチについて語る中でアラスカの自然の豊かさ(食べるものも含め)が他の文化とは違うことを見抜いていた。その慧眼は天才的だと思う。

 アラスカの豊かな暮らしに慣れてきたころ、父の突然の帰国命令があり、アラスカを一年足らずで後にした。水上飛行機で飛び立ち、上空から町並みが見えたときに、またいつか戻りたいという、ふつふつとした感情が当時の少年のこころに湧いてきた。

 世の中便利になり、ネットで当時の住まいをストリートビューで見ることもできるようになっていて、興味心身で時間をかけて眺めることができた。50年以上の時間の経過で、近隣の景色は一変。当時のパルプ工場は閉鎖され、人口も随分減ったようで、恐らく現地に行っても当時を知っている人に出会うこともないだろう。

 それでも、行きたいという情動がある。昔少年の時に見た、遠くの海上で潮を吹き上げているクジラを見たいとか、自分の住まい近くのネイティブの墓地をお参りしたいとか、本当の自然を感じたい。人の心の豊かさに触れたい。そんな理由があるようだが、まだ、よく判らない。

 まだ、明確にはなってないが、過去の体験を完成させるための追体験への情動なのだろうか?

 最後に、ロジャースの情動についての命題を蛇足かもしれないが紹介しよう。学術用語の羅列のようで、英文が見たいという方も時々いるが、英文を忠実に訳されている名訳だと思う。100回くらい読むと、味わいがでてくる!

 情動は、前述のような目標思考的な行動をともない、かつ、一般的には、このような目標志向的な行動を促進するものである。情動の種類は、行動の追求的様相が完成的様相に関連しており、情動の強さは、有機体の維持と強化に対する意味についての知覚と結びついている。

旅の意味③  7/10

人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o