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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

カーナビの御乱心を笑わないで!(旅の意味� 8/10)

2013-11-26 | 第八章「魂と聖霊」

  今日から伊勢神宮の旅。早朝から車に鞭を入れて伊勢に向かった。残念ながら高速に乗るまでに渋滞に巻き込まれ、約1時間残念な時間を過ごした。百mを十分かかる渋滞の中では、これでは今日中に伊勢に到達できるのかと、家人共に不安な時を過ごしたのであった。

  しかし高速に乗ったら、その後は快調。天気にも恵まれ足柄サービスエリアでは、美しい富士山も見られた。富士山が綺麗に見えると評判の新東名に行こうと家人が提案があって御殿場から、新東名に乗り換えたのであった。

 ところが、カーナビのデータが古く、カーナビが高速ではなく一般道を走っているかのように認識し、御乱心。右行け左行けと叫び始めた。到着距離や、推定到着時間も、まるで逆走した化のデータを提示したり。

 つい先程まで、先の見えない渋滞でご乱心、までは行かなかったが動揺していたことを思い出し、人間ではないもののカーナビの律儀さに苦笑いをしてしまった。

ロジャースは、次の命題を残しているが、今日はとても身にしむようであった。

行動を理解するために、もっとも有利な観点は、その個人の内部的照合枠から得られるるものである。

内部的照合枠は、わかりにくいが何かに対する個人的な想いとか、思考システムとかと考えるのはどうか?

カーナビの御乱心は誰でも分かることであるが、私の方が内部的照合枠を見抜けず、人を傷つけたりしてしまったことを思い出したりした。

この命題はすべての人にあてはまることで有名だが、私はいつも人の尊厳を考えてしまう。

旅の意味�  8/10

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