イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

問題を問題にしてみる!(心の援助を考える①)

2010-03-21 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 生まれてから今まで、問題がなかったことはなかった。幼いころは記憶にないが、最近孫が出来て、勉強になる。

 孫を観ていて気付くのは、一歳に満たない彼女も、いつも問題をもっているということ。言語化できないので、こちらが想像するだけあるが、起きているあいだは問題と戦ったり、楽しんだりしている。「おなかがすいた」、「暑い」、「気持ちが悪い」・・・・

 そんな、大事な問題の存在であるが、当たり前すぎるのか、問題を問題にすることは余りない。でも、問題を扱う時はその理解を深めることは大事である。ならば、もう一度問題とは何かを問題にしなければならない。

 たまたま読んでいた、世界で愛されているロシア人のアルトシューラの創造技法TRIZの入門書、「本当に役立つTRIZ」(日刊工業新聞社)には次のように書かれていた。

 問題とは目標と現実のギャップ。

 気になったので、他の定義もあるかとインターネットで調べた。概ねこれで良いようだ。ただ、1+1=?といった学校で非常に良く教わるような問題はどうだろうかと気になった。

 こうした算数の問題のような問題は回答が、学習による前提条件の中で一つに決められる、単純なものである。客観性があって、万人に説得できそうでもある。でも、こういう問題は学習進度を調べる等の測定に使われ、大人が悩む正当な問題と、ちょっと質が違うと思う。問題というより質問(○×式の)というものである。

 さて、TRIZの本の定義で気になったのは、目標という言葉である。目標は組織・集団で決める目標を主にイメージしてしまう。個人の場合は目標より、望ましい状態とか理想といった言葉が、ぴったりするようである。そこで、次のように定義をしなおしてみた。

 問題とは個人の理想と現実のギャップである。

 ここで、はっとする。何処かで見慣れた定義なのである。生き甲斐の心理学の中で大事にしている次の考えがある。

 暗い感情(不安、怒り、身体症状、鬱、錯乱)は理想と現実のギャップから生まれる。勿論、この場合は意識だけでなく無意識の理想とか現実も加味される。

 とても似ている。そうすると、問題=暗い感情 という不思議な等式がなりたつ。理想も現実も本人が認識している、ある意味で主観的なものである。

 そして、<回答は本人の中にある>という生き甲斐の心理学の命題も理解できる。人間関係の問題、就職や入学の問題、病気の問題、配偶者の問題、死の問題・・・人生の大きな問題は、基本的に感情をもつ本人が解決すべきである。

 本人が解決すべき問題は、本人の問題だが、他人ができることは、その本人を援助するだけである。例えば、親子の関係などであっても、本質は同じ。自分と他人が違うことを知ることが大切。

 問題とは何かと、昨日から考えてきたが、生き甲斐の心理学で扱う、問題がどこに焦点付けされているのかが判った。心理学なのだなあ・・・

(こころの援助を考える①(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 2/60)

 人気blogランキングへ <- 1クリックで燃えます!感謝しています!!!

 


いまさら訊けない1億2千万人のための心理学!

2010-03-20 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 私ごとで恐縮ですが、大学で行動科学や実験心理学を勉強し、また、創造工学やフロイト、フランクルの本も結構読み、心理学もかなり理解しているつもりでした。

 ところが、40歳台になって、いろいろ悩み、また、不思議な縁で「生き甲斐の心理学」を学ぶようになりました。その中で、欧米では常識の基本的な心理学教育が自分には欠落していたことに気づきました。気付かせてくれたのはU先生です。基本が理解出来てなければ、いくら本を読んでも身にしかなかったのです。

 U先生は、オックスフォード大学でB先生について学位をとり、また、日本で多くの臨床経験をつまれたセラピストです。そして、学びを通して、さまざまな悩みや生き甲斐の問題(生き甲斐は、不思議なことに悩みを軽減することもあります)で非常に助けてもらいました。

 やがて、私を含めU先生から学んだ学徒でNPO法人を立ち上げ、「生き甲斐の心理学」の普及活動をすでに5年継続してきてます。ただ、その活動は緒についたところで、殆どの人は「生き甲斐の心理学」を知りません。

 今、思うと自分は、会社勤めの時はマーケティング(企画)を職としてきたのに、そのノウハウを殆ど生かしていませんでした。それは、意外にも自分のアイデンティティの問題であったのです。ただ、今は違います!

 まずは、自分のブログを少しづつ改善し、より皆さまの役に立てるようにしていきたいと思い直しました。

 巷では、心理学の公開講座やカウンセリング勉強会が、いろいろ開催されています。ただ、なんとなく敷居が高いのか、今までの経験もあるのか、歴史とか寺社仏閣関係の講座は満席になるのに、参加者が少ないようです。しかし、日々の人間関係や生き甲斐などで、その知識は本来とても大事だと思うのです。

 私もかつてそうだったように、いまさら訊けない良質の心理学の知識を、理論はU先生の「生き甲斐の心理学」に従いつつ、もう一度整理し60回に渡りお届けしたいと思います。

(総論1/1)

 人気blogランキングへ <- 1クリックで燃えます!感謝しています!!!

 


匂い豊かな沈丁花は目立たない!(感謝のカプセル)

2010-03-19 | 第五章「和解と平和」

 青年時代、花の名前を殆ど知らないころ、家の庭に咲いていた沈丁花を覚えた。桜の咲く前に、その強い芳しい匂いを放ちながら春の到来を知らせる。その印象的な匂いとは違い、花自身はとても地味である。

 さて、60回にわたり、「感謝の領域」を書き綴ってきた。お陰さまで、一日も途絶えることなく、書き続けることができた。

 自分の個人史を振り返ってみると、青春時代より少しは成長したように思うが、その成長は起承転結あるいは序破急といった過程の中で行われてきたように見える。これを「生き甲斐の心理学」では、欧米の学問の影響で別の云いをしているがかなり似ている。

 「愛とゆるし」、「和解と平和」は従来の世界が新しく再構成される変換の過程のように思える(私の印象だが)。

 「転」、「破」、「愛とゆるし」。それは時に痛みを伴う大切な過程である。従来のさまざまなコトがそぎ落とされ、裸にされ、最後に残るものから次の何かが生まれてくる。

 そして、それは従来の世界と新しい世界のかけ橋でもある。従来の世界を全否定するのではなく、ある本質が感謝・愛というカプセルで包まれ引き継がれていくようだ。

 感謝・愛は目立たない。眼に優しい花はいくらでもある(水仙、パンジー・・・)。ただ、沈丁花の花の香りで青春時代の体感と繋がるように、今ここにある真実を繋げていく働きがあるように思える。

 ふと、自分の死の時を思い浮かべる。死後の世界は宗教や哲学でいろいろ言われている不可知の世界である。自分としては、今を生きるために明るい死後のイメージを持ちたいと思うが、やはり判らない世界であることに変わらない。

 まあ、この世を去る時に、地味ではあるが、感謝しつつ息を引き取りたいと思う。魂を感謝のカプセルに入れるように。

(感謝の領域(ゆるしと和解⑩)60/60)

 人気blogランキングへ <- 1クリックで燃えます!感謝しています!!!


こころを伝える!(ゆるしと和解⑨)

2010-03-18 | 第五章「和解と平和」

 こころが健康なときは、必要に応じて自分のこころの内(本音)を、流れに乗って話せるものであるが、そうでない時は何かが滞り、自分の本音も伝えられなくなるものだ(本音も判らなくなったりもする)。

 もちろん健康な時でも、相手の状態や親密度もあり、うまく話せないことがある。

 でも、自分のこころ(本音)をうまく相手に伝えるかは、自分や相手が明るく健康的に生きるために大切なことだ。そして、伝える努力はとても大事。

 20歳台で社会人になって間もないころ、人間関係は余り得意ではなかった私だが、営業生活を何年か送った時期があった。営業の仕事は、様々な方とお付き合いをする。また、交渉ごともあり利害の衝突もある。

 そんな中で、本音をうまく伝えるか、相手の本音を感情を含め、よりうまく理解できるかはとても大切であった。今から思うと、営業成績が良いときは、こころをうまく伝えられた時期でもあった。

 苦手(怖い、嫌い)な人もいる。また、責任感でこころを鎧できっちり防御し、隙を見せない人もいる。トラブル等で冷え切った関係もある。でも仕事上立場上、親しくならなければならない(こういう関係は、さまざまな仕事や家庭・親戚など到る所にあるかもしれない)・・・

 苦労している中で、先輩からいろいろ教えていただいた。その中には、今考えても(心理学の勉強をして)、そうだなと思うノウハウがある。

 難しい関係にあるとき、外的なトラブルは極めて大切であり、それに一緒に親身になって対応することで(例えば一緒に徹夜する)、信頼関係が増すということである。向き合う関係より、一緒に並ぶ同志の関係が良いということが言われるが、それと同じだ。

 心理学でいうと、二人の関心を他に移すことで、感情転移とか置き換えという防衛機制でお互いの間に発生する感情転移等を取り除くことかもしれない。

 話が、少し脱線してしまったが、仲良くなれるチャンスは、忍耐強く待つことで意外なとこから来ることがある。

 その時は、そのチャンスを生かし、相手を大切にしつつ、垣根を乗り越えていく。

(感謝の領域(ゆるしと和解⑨)59/60)

 人気blogランキングへ <- 1クリックで燃えます!感謝しています!!!


自己肯定・他者肯定の世界が良いな!(ゆるしと和解⑧)

2010-03-17 | 第五章「和解と平和」

 昨晩は、久しぶりに家でDVDを観た。スピルバーグの「ミュンヘン」で、1972年のミュンヘンオリンピック事件(11名のイスラエルのアスリートが人質となり、救出に失敗し全員殺害された事件)に報復する、「神の怒り作戦」を映画化したものである。

 暗殺団のリーダである主人公の、心の葛藤や報復の空しさ、希望が描かれた映画であったが、いろいろ考えさせられた。自己肯定・他者否定の正義の暗殺が、次第に変わり、自己否定・他者否定の破壊・地獄の世界に近づいていく。そんな主人公のこころの変化がリアルだった。

 主人公の妻と幼い子供は、その中にあって自己肯定・他者肯定の愛そのものを象徴しているようであり、主人公との関わりが何とも言えない感動を産む。物質としての身体の世界、こころの世界、魂の世界・・・

 今の世の中は激しい競争の社会になってきている。現役を引退すれば、別かもしれないが、競争による、自己肯定・他者否定が到る所で顔を出している。生き残りの原理とはそんなところにある(敵を物理的に殺したり)。自分も暗殺団ではないが、日本経済の中で、生き残りをかけた企業間競争には随分係わってきた。

 A社は業績をB社よりあげて(その方法はいろいろ)、優位にたつのが生き残りの戦略だったりする。ただ、見方をちょっと変えれば、B社が倒れても、C社が台頭してきたりする。常に戦いは継続する。11名の暗殺リストのうち9名を殺害した暗殺団の成果は凄まじかったが、結果は報復の報復が続き、今の現状に至っている。

 5-6万年前に、東アフリカから海峡を渡り世界に散った現世人類の集団は150人だったという説がある。勿論、イスラエルやPLO、アメリカ人や日本人、中国人と別れてもいなかっただろう。

 今の人口は約68億人。不健康な、自己否定や他者否定の世界に陥らず、共生で健全な自己肯定・他者肯定の世界に変わっていければと思う。孫の世代は何としても光が見えてほしい。

 先日、マザーテレサの本を立ち読みしていたら、マザーテレサが食事を節約して、コメを飢えているヒンズー教徒の子沢山の母親に渡したら、そのコメの半分を貧しいイスラム教徒の子沢山の母親に分かち与えた話があった。本当の豊かさは、そんなところにあるかもしれない。

 いろいろ考えさせられた。

(感謝の領域(ゆるしと和解⑧)58/60)

 人気blogランキングへ <- 1クリックで燃えます!感謝しています!!!