イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

梅が満開で嬉しいですねぇ!(ゆるしと和解⑦)

2010-03-16 | 第五章「和解と平和」

 幼いころに、例えば親との接触の中で、愛されたり、愛したりの経験する。そして、それがこころの愛の原型となっていく。

 人は個々の愛の原型に従い、愛の満足感を得たり逆に孤独感に陥ったりする(それは、一人ひとり全く違うものである)。勿論、その原型はその人の思考・解釈によるところもあり(意外と昔の幼かったころの解釈であったり)、思考・解釈が変われば愛の原型も変わっていく。原型が変われば、孤独感も変わる。

 先日、梅が綺麗でじっくり眺めていると、知り合いのシスター(修道女)が通りすがり、「綺麗ですね!」と声をかけて下さった。それに言葉で応えたが、美しい日和のなかで梅を愛で、共に語らう幸せは素晴らしかった。これも、自分の愛の原型に触れたのだろうか。

 生き甲斐の心理学を学び始めたころ、自分の愛の原型は何かと訊かれ、その時に想い浮かべたのは、幼いころあたたかい日溜りの縁側で積み木で大きな城をつくり、両親に褒められた時のことであった。

 その時以来、いろいろ愛の原型を思索してきた。すると不思議に、いくつもの名場面を思い出してくる(お金もかからないので時間があるときにのんびり楽しめる。楽しむのがコツ、辛くなる時はすぐ辞める)。

 また、愛とは何か(両親に立身出世を期待されることか?失敗しても与えられる無償の愛か?命をかけるものか?)などと思索を深めることにより、自分の特選・愛の原型も変わっていくようである。変われば、愛の満足感や孤独感も少しずつ変わっていく。

 両親だけでなく、祖父母との思い出、幼友達との思い出もあった・・・そういえばシスターとの語らいもあった。自然との語らいも・・・

 真善美と自分の愛の原型がリンクするのはやはり良いように思う。

 ちょっとしたこと愛の満足を感じ、すぐ感動し涙を流すお爺さんに、将来なれたらなあ。

(感謝の領域(ゆるしと和解⑦)57/60)

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集団の文化も大事だなぁ!(ゆるしと和解⑥)

2010-03-15 | 第五章「和解と平和」

 大企業に勤めて退職し、そして定年後はOB会に参加したり、趣味のサークルに加盟したりして余生を過ごす。そういった位置づけのOB会も大事だとは思うが、最近は欧米化して、OB会の位置づけもかわりつつあるようだ。終身雇用も崩壊しつつあるし。

 例えばA社を中途退職した後で、A社の中途退職者中心のOB会に入り、交流の中でビジネス面で助け合ったりする。そういうOB会は昔も外資系のごく一部に見かけたが、最近は変わりつつあるようだ。今後は、そういったOB会がだんだんメジャーになっていくのだろう。

 A社の経験を共有したことは、その企業文化を共有したことになる。何年も勤めていると、言葉の使い方、メールの作法、性善説的な文化や性悪説的な文化・・・様々だと思うが、その企業のさまざまなレベルの常識を、退職後も仲間と共有できる。まずコミュニケーションが本当に楽なのである。勿論それ以外のメリットもあるだろうが・・・

 こういう集団文化は、何も大企業とは限らない。家族もそうだし、町内会などもそうだ。趣味のサークルもNPOもそうなのだろう・・・

 良い味をだす、集団の文化。機能面だけでギスギスとやるのではなく、情緒面でも、味のある集団文化をつくっていく。目立たないが大切なことだと思う。個々人が落ちつける場所があるのは本当に幸せだ。

 例えば、仕事の後の赤ちょうちん文化は、ロジャーズの6条件を満たす癒しの環境だったかもしれないし。

(感謝の領域(ゆるしと和解⑥)56/60)

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静かに考える!(ゆるしと和解⑤)

2010-03-14 | 第五章「和解と平和」

 昨日は製品を開発したり、事業を企画したりするときの思考方法について随分考えさせられた(勿論、自分の生き甲斐を思索したりするときにも)。手法そのものは以前からある程度知っていたが・・・。一番考えたのは、最近私も悩んだが、情報に振り回されるという、インターネット時代の病癖である。

 静かに考えるとは、考えるとは何だろうか。

 自分を責めすぎるのは良くないが、活動を振り返ったり反省することは大きな飛躍に繋がる。また、成功を分析するより、不成功を分析したほうが役に立つようだ。

 矛盾や問題は宝である。まずはそこから考えるべきだ。逃げてはいけない。

 そして、試行錯誤をしつつ(~を~によって~する)。といった基本的活動原理を見出していく。単純な言葉で表現できるように、考えて行く。物事の目の付けどころもとても重要である。眼の付けどころは、活動の場(プロセス)を決めて行く。

 静かに考えるとは、以上のような思考を自分の五感・体感を駆使しながら進めていくことではないか。

 情報に振り回されるのは良くないのだろう。時にKYのが、良いことも。

(感謝の領域(ゆるしと和解⑤) 55/60)

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飛鳥の亀!!!学際的アプローチでワクワク(ゆるしと和解④)

2010-03-13 | 第五章「和解と平和」

 日本語はアルタイ語系であると学生のころ学んだが、以前、言語学者で著名な大野晋氏が書かれた「日本語はいかにして成立したか」を読んでいたら、日本語はドラヴィダ語(南インドなど)と同系という大変面白い本を読んだ。

 大野先生の本を読んだころに、ニコラス・ウェイド著「5万年前」も読み驚いた。数万年前の祖先たちの研究が、ヒトゲノムの研究等の遺伝子関連、比較言語学の研究、考古学等様々な学際的研究で信じられないスピードで、著しい進歩を遂げていることを知ったのだ。

 日本の古代史は、自分のルーツに深い関わりのある分野である。年をとってくると、とても興味が湧いてくるが、これは私だけでないようである。

 さて、昨日、言語学者、姜 吉云(カン ギルウン)著「倭の正体」(三五館)を読んだ。この中で、朝鮮半島の加耶と倭、任那が同一であり、支配階級はドラヴィダ語を話し、そのトーテムが亀と知った(この他にも、ドラヴィダ語の知識で日本書紀を読み解くなどとても面白かった)。

 奈良の飛鳥に行くと、亀石や猿石などがあって、不思議に思っていたが、亀はどうやら、当時の支配王朝(加耶、倭)と関係しているらしい。因みに百済はモンゴル系言語を使い、トーテムは猿という説もあるらしい。ルーツを探る上でトーテムを研究するのは面白いかもしれない。

 古代の真相がこうした学際的研究で、どんどん解明されていけば本当に楽しい。

 学問もそうだが、宗教も諸宗教の対話(キリスト教関係ではエキュメニズムという)が進み、和解をすすめ平和の基盤を築いて欲しいものだ。日本はそういう場としては最高だと思うのだが(比叡山サミットがあったが)。大げさなものでなくても、自殺防止とかで地域で何とかならないものだろうか。

 写真は高松塚古墳の近くの公園で見た、四神を模したオブジェ。高松塚古墳の玄武の絵は亀と蛇(氏族のトーテムという説もあるらしい)からなる。そんなことを思い出しながら、楽しかった奈良の旅行を思い出す。

(感謝の領域(ゆるしと和解④)54/60)

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ジレンマ、トリレンマにも負けず・・・(ゆるしと和解③)

2010-03-12 | 第五章「和解と平和」

 明日は、予定が3つ入ってきて、どれかを選択しなければならず。いろいろ考えたがその中の一つに決めた。当然2つの選択肢は痛みを伴ってあきらめざるを得なかった。

 こういうのは、トリレンマというのだろう。二つの場合はジレンマであるが・・・

 こうした単純な日程の問題もそうであるが、人生の分かれ道のようなものもある。この十年を考えると、長年務めた会社を辞める時がそうであった。その後も、結構、ジレンマやトリレンマの分かれ道に遭遇している。

 長年一緒に仕事をしたりした仲間のことを考えたり、一度口にしたことを反古にしたりしたこともあり、落ち着いてから振り返ると、やはり胸が痛む。

 とはいえ、自分には何か天命のようなものがあり、悔いのない人生を選択する必要があると信じている。変に自虐的になるのも問題だと思う。所詮、人は他の生命を食べながら生きていく存在である。

 生き甲斐が明確であれば、何を大事にするかが明確であれば、迷いは少なくなる。業とか原罪というようなどうしようもない負い目も、その苦しみを伝統宗教は解決してくれる(私はカトリックであるが)。

 ものは考えよう。自分の道を、整理統合しつつ祈りつつ、探し進まねば!

(感謝の領域(ゆるしと和解③)53/60)

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