イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

プレゼントとしての本能!(人間を考える 10/10)

2012-12-21 | 第八章「魂と聖霊」

 先日、近くのお蕎麦屋さんで食べたカレー南蛮、美味しかった。その時撮った写真を見つつ、また食べたくなっている。

 人間の本能には、食欲、性欲、見神欲があるという。本能とは何か?これは難しいテーマであるが、日常の中でよくお目にかかるもので、特に考えなくとも私を含め人々は逞しく生きているようだ。

 余りにも身近な情動を誘う本能であるが、その意味を深く考えることは意外に少ない。そして、こうした本能を単純に良くないものと考える人にも時々出会う。私も振り返って考えると、例えば、青年期になると身体の成長とともに性欲が強くなってくるが、そうした自分を受容できなかった時期もあった。

 さて、今回は人間を考えるということで、人間の構成要素、魂、こころ(生育史からなりたち、思考、感情、行動に繋がる)、身体を考えてきた。そして、それらを日常の中で感じたり肯定的に思索していくと、生きる上でのヒントがいろいろ得られる。

 本能についても、それを感じつつ、肯定的に考えてみるといろいろな発見がある。キリスト教や仏教でも、いろいろ勉強していくと、深い部分では性欲の現実を肯定的に思索していて驚いたりする。

 U先生の「生き甲斐の心理学」90ページに、次の一節があるが、とても素敵で好きな一節だ。

  食欲、性欲、見神欲(宗教心:神仏を求める本能のこと)、この三つの本能は神様からのプレゼントです。この本能を上手に、抑圧、抑制、解放すると自律神経は正常に働きます。健全な明るい自他肯定的な人生を送る為にも抑圧、抑制、解放を自分の環境に合わせて意識して応用していきましょう。

 人間を考える 10/10

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身体の健康と太極拳・気功!(人間を考える 9/10)

2012-12-20 | 第八章「魂と聖霊」

 久しぶりの太極拳・気功の練習をたのしんだ。練習も実に爽やかだが、A先生や同好の仲間との語らいも負けず楽しい。今回は、認知症に太極拳が効くという話が印象的だった。ご存知のとおり高齢化とともに認知症発症も増えるといわれる。確かに80歳、90歳となると増えてくる実感がある。

 そんな中で、ネットで調べると太極拳や気功が認知症予防等でかなり効果があるようだ。調べると学術論文までどっさりとあった。

 さて、「生き甲斐の心理学」で心の健康と密接な6要素が良く取り上げられる。この6つは、とても重要なわりには、私もかつてそうであったが、健康の考慮すべきポイントとして意識している人は少ないようだ。身体と密接な内部要因も含め、この6つを暗記し、言葉を意識するだけでも、何か健康向上の効果があるようだ(笑)。

 外部的要因とされる3つ: 遺伝、老化、環境

 内部要因とされる3つ: 自律神経、免疫、内分泌

 U先生は、この6つのお話をされるとき、よく太極拳のお話をされた。その影響もあり60歳のときに太極拳を始めた。不思議なご縁でA先生に八王子に来王していただくことが出来たこともあった。

 太極拳をはじめて(月二回程度の練習だが)もう2年近くになる。その中で、以前と変わってきたように感じてならない。ひとつは、昔は、しょっちゅう疲れて温泉にでも行きたいという情動が起こったものだが、最近は殆どない。そのほか、自律神経に影響するのか、昔ジョギングを数キロ走っていたころのランナーズハイに近い健康感というか、そういうものが味わえるのも素晴らしい。

 老後の健康のために、何か適当な運動はと問われれば、迷わず太極拳と言える。

 今日は人間を考える大事な要素としての身体について、想いを巡らした。

 人間を考える 9/10

オラウータンのジプシーさん。老後の生活の知恵は何かな?

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たのしい仲間たち、イルミネーションをたのしむ人達!(人間を考える 8/10)

2012-12-19 | 第八章「魂と聖霊」

 昨日は、U先生主催の「生き甲斐の心理学」勉強会が四谷であった。有意義な勉強会であったが、そのあと某所でお茶をし、楽しく語り合ってお開きとなり、来年の再会をたのしみに分かれた。

 しかし、気心の知れ合った仲間は良いもんだ。しかも、自他肯定的な雰囲気で自然体で接し、また、新鮮な会話も楽しめる。ひょっとしたら、天国を垣間見ているのかもしれない。そんなことをふと想ったりする。

 人間とは何か?この一連のブログでは、魂、こころ(生育史)、そして身体の切り口でのんびり書き綴っている。そして、たのしい仲間たちではないが、自他肯定的な雰囲気は魂の次元でも、こころの次元でも、身体の次元でもたいせつなのだと思う。

 もちろん、自分と他者ということを考えると、たのしい仲間のように、様々な次元で自他肯定のスタンスが取れることも稀にあるが、そうでない関係もある。

 しかし、どんな人にも愛そのものが宿っているはずだと考えるのは大事だと思う。言葉だけではなく真の人権意識は、そこから生まれたのだと思う。

 昨日は、勉強会が終わってから多摩センターに寄ったのだが、年末のイルミネーションが綺麗だった。FBの読者の方には、後ほど撮った写真を掲載させていただくのでご覧下さい。お祭りなどもそうだが、このイルミネーションの中も皆幸せそうでよかった。

 人間を考える 8/10

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奇妙な行動・ウォッチングを楽しむ!(人間を考える 7/10)

2012-12-18 | 第八章「魂と聖霊」

 私が幼稚園に通い始めたころ、幼稚園が遠くにあり交通も危険で心配したのだろう、母が送り迎えをすることが多かった。しかし、代わりに叔母さんが思いがけず来ることもあった。私の家の前に祖父母の家があり、叔母さんが訪れることも多かったのだ。

 そんな時、母への怒りへの腹いせか、叔母さんの手に噛み付くことがあった。そしてすっぽんのようになかなか離さない。その癖も、そのうち度々になり、周りの噛み付き癖対策も進んだ。噛み付くと鼻をつままれ離すという回避方法が定着し、私の奇妙な行動もだんだん減っていった。

 その癖の最後は、小学校一年の時に、担任の女教師に噛み付いた時だ。先生は、驚き、そこで予想外の反応をした(叔母さんと勝手が違った)。今では、当たり前だと思うが。

 あれから、50年以上が経って、幼稚園に迎えにこられた叔母さんが最近亡くなられた。亡くなる前に、お見舞いに行った時、その噛み付いた手を握らせていただいた。その時の暖かい感触は忘れられない。噛んだ意味も今考えると、何となく判る。

 「生き甲斐の心理学」では怒りは友好的感情の裏側であり、未熟な私は単純な情動で行動したに過ぎなかった。50年以上の時間を経て、奇妙な行動の意味を受容し、怒りの感情の意味を少し深めたようだ。

 さて、私の孫娘2-3歳のころ。外に行くと、階段の登り降りをはじめ、ずっとやり続けていた。最近は、その傾向がなくなったが、かわりにスマイル・プリキュラの相手をやらされる。その行動の背景は、本人が大人になってから、ふと気がつく大切なことがあるのだと思う。こちらや本人が奇妙と思っても、大切な意味があるのだろう。

 今日は、U先生のテレビ放送、「裏の行動」を拝見し、触発されて書かせていただいた。感謝しつつ。

 人間を考える 7/10

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カオスの中を変な行動をせず、ぶれなく進む方法!(人間を考える 6/10)

2012-12-17 | 第八章「魂と聖霊」

 衆議院選挙開票速報の見過ぎで、ちょっと寝不足気味の朝をむかえた。良きにしろ悪しきにせよ、日本という一億二千万人の国が、生命体のように一つの全体としてまとまり、様々な問題に反応するため政権が誕生する。そして、ブレず国民のために真に働く政権であって欲しいと思うが、その構成メンバーの政党や個人のブレはどうなのだろう。民主主義は素晴らしい仕組みだと思うが、運営はなかなか難しいようだ。

 さて、政治や組織もそうだが、個人も様々な状況に置かれる。台風のようなカオスの状況に翻弄されることもある。その時、大切なのは「何のために生きているか」という問を自らに問、自分の方向性を大切にすることではないだろうか。もし、見えていないのなら逃げ出すのも良い。

 教科書的なことを言ってしまったが、現実は、いつのまにかカオスの状況に巻き込まれているということが多いと思う。はじめから腹をくくり対応していたわけでないので、乱気流のなかで右往左往してしまう。そして、奇妙な行動をとったりしてますます悪い状況になる。

 こうした時にも、あらためて「何のために生きているのか?」という、哲学的問いは重要。そんな悠長なことを言ってられないと焦るより、私の経験では重要で助かった経験もある。現実の現象とは繋がらないようで、最後はつながってくる。回答がすぐ出る問題ではないが、考え続けることが重要なようだ。

 人間を考える 6/10

 

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