イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ウィスキーとか愛とか・・・解釈の世界の多様性を楽しむ!(縄文スイッチ ② 7/10)

2014-12-26 | 第一章「意識と知覚」

 今日の「マッサン」は精魂こめて作った国産初のウィスキーが予定の2割とかしか売れない話。厳しい状況下の重要な判断に、いろいろ考えさせられた。ウィスキーが売れないことに関して、人の解釈は実にまちまちである。

 話は飛ぶが、愛の多様体というようなものがあるように思う。人それぞれの愛は生育史上の愛の原形が違うためか、ある人の愛と感じるものは他のある人からは感じられなかったりする。自分の愛や他者の愛をいろいろ心理学的に考えていると、そんな多様性・多様体を感じてしまう。

 そして、今回のマッサンの話も愛の多様体ではなく、ウィスキーの多様体・多様性かもしれない。

 日本人には合っていない。まだ舌がウィスキーに馴れていない。・・・同じ売れないという現象の中で、人々の解釈は様々だ。マッサンや鴨居社長たちの解釈と一般の消費者は残念ながら違う。

 そうした現象の最中、自分の解釈にこだわることもなく、自分の感性・個性を信じつつ事業を決めて行くのは凄いことだと思う。鴨居社長は事業継続を決める。不況下の決断なのである意味命がけで。

 U先生の「生き甲斐の心理学」テキストには、こころの尺度(プロセススケール)の一つとして、「体験の解釈」を挙げている。この尺度から考えると。まさしく鴨居社長は高辺の健康レベルで、思い込みは一時的で、現象に深い意味を見出し、今までの体験を総合的に捉えて確実な将来への一歩をつなげているようだ。しかも、それは自他肯定の原理なのも面白い。

 マッサンの話は別にして、自分の体験でも、こうした人生の選択はあるようだ。そして、誰にでもあるように思う。しかし、こうした決断は自分の心の健康性も影響は与えるが、そういった時は何か不思議なことがあったりして、本当に自分で決めたかともいえないと後で振り返ったりする。何か合理的に割り切れない神秘的な世界も広がるのだ。

 さて、縄文スイッチを入れてみよう。昨日から草創期、早期の南九州の縄文文化(貝文文化?)を妄想している。当時としては高い文化レベルを持っていたのだが、6300年前の鬼界カルデラ海底火山爆発で南九州だけでなく西日本はかなりのダメージを受ける。火山噴火の影響で埴生が500年戻らなかったとも。

 そんな突然の悲劇の中、祖先たちは丸木舟で黒潮を使って逃げたりしたのだろう。そして、その文化の一端は残されたのだろう。ウィスキーにもドラマがあったようだが、私たちの祖先にもドラマがあり、その糸は数千年におよび紡がれ私たちが生まれる。不思議なことである。

 写真は、先日に鳩森八幡神社で富士塚に登ったときに撮った鳥(なんという鳥だろう)。夕暮れに、どこに向かうか考えているのか、羽を休めているのかしているのだが、何かこころを動かす鳥であった。

 年末年始に向けて、年賀状を書いたり、今年の紅白歌合戦について朝ドラで楽しんだりしているが。今年は、1月10日に四ツ谷で勉強会があるので(この鳩森八幡神社の富士塚にも行く予定)、一年の計(自分版も含め)についても思索している。時に高所にたって想いを巡らすことは大切なのだろう。

 これは大栗川の鴨さん

縄文スイッチ ② 7/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ <・クリック応援いつも感謝しています! o(^▽^)o

 

 


技術で自己主張する!(縄文スイッチ ② 6/10)

2014-12-25 | 第一章「意識と知覚」

 今日のマッサン、嫁姑関係にあるエリーさんとお母さんの自己主張も面白かったが、苦労の末にウィスキーの商品化にこぎ着けたことが一番感動した。そして、日本のモノづくりの伝統について考えてしまった。

 鴨居社長の自己主張も素晴らしいと思うが、やはり朴訥かもしれないマッサンの自己主張にも思いを巡らした。それは、何かへの想いを鴨居社長のように言語化する代わりに技術に結晶させる力だ。フロイトの防衛機制でいうと、満たされぬ思いを抑圧するのではなく昇華する力だ。

 国際会議の中で、自己主張が少ないのは日本人とよく言われているが、それも事実なのだろうが、技術で主張するということまで考えると、別の方法で自己主張している国民性かもしれない。

 さて、縄文スイッチなのだが、縄文時代以前のころは、北や南から祖先が日本列島にやってくるわけであるが、これは日本固有というよりアジア的に考えないといけないかもしれない。しかし、日本で見つかった遺跡からも、祖先の技術力には脱帽させられる。以下は「古代日本の超技術」(志村史夫著 講談社)と小田静夫先生の「海を渡った縄文人」(井戸尻発掘五十周年記念講演集)を参考に縄文人の技術を概観してみた・・・

 1.丸木舟が実用化されたのも、特殊な磨製石器が発明されていたからという。そんな丸木舟を先日中里遺跡の展示ということで拝見させていただいたが、本当に器用にくりぬいているのには驚いた。当然ながら特殊な石器の技術がなければ作れない。

 2.縄文時代は東日本の遺跡が圧倒的に多いが、九州の上野原遺跡は7500年前の壺型土器が発掘されている。弥生土器では一般的になるが、穀物の貯蔵が行われていたようだ。

 3.三内丸山遺跡の巨木(直径1メートルの栗の木)で作った建造物発見はあっといわせたが、写真の竪穴住居も木材が多用されている。欧米等は壁中心の建造物なのだが、木材を柱としてりようするなどの建設技法も決して馬鹿にできない技術だ。

 4.縄文土器は今のところ12000年前に遡り、これは世界最古である。このセラミック技術が今でも日本の技術にも流れていると考えると感動してしまう。

 5.鏃や釣り針に天然アスファルトが使われていた。これも日本が最初ということかもしれない。産地は新潟等日本海沿岸のようだ。

 6.翡翠(ヒスイ)などの応用した穿孔技術。硬度6.5~7といわれる硬玉に見事な穴をあける技術は、どうも同等の硬度をもつ研磨剤を使い回転管錐穿孔法で穴をあけたようだ。これは究極の技術で今でも充分通用する。

 こんな風に熱くなってくるが、今日はクリスマス縄文スイッチを切って平安な一日を送りたい。

縄文スイッチ ② 6/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ <・クリック応援いつも感謝しています! o(^▽^)o

 


自分の個性を受け入れる!(縄文スイッチ ② 5/10)

2014-12-24 | 第一章「意識と知覚」

 今日の「マッサン」。不況下で経営判断を迫られる鴨居社長が長越百貨店の澤田取締役にウィスキーを試飲してもらう。そんなシーンでの澤田さんの本音の語らいが実によかった。自分の本音を上手に語ることで、本人だけでなく周りも幸せになるという、U先生の「生き甲斐の心理学」の理論(自己伝達)を思い出してしまった。

 澤田さんの個性、鴨居社長の個性、マッサンの個性・・・なかなかであった。

 個性については昨日ブログで語らせていただいたが、ちょっとつけ加えたくなった。自分の好き嫌い等の感情の背後には、幼いころからの生育史が隠れている。さらに、その生育史の中には、その人の基本的な傾向と渇望を産みだした何か原型のようなものがあるようだ。

 鴨井社長や澤田取締役にもあり、その一部が言語化されて本音を上手に語るなかで光る。商売の筋・・・味な話であった。

 さて、こうした個性は、社会の動きの中で順風の時もあるが、概して逆風の時が多い。そして、自分はヘンだとおもい自分の個性を受け入れず、何となく漂ってしまう。漂う時も必要だとも思うが、やはり長い眼でみれば自分の個性をまずは受け容れることが大事。そして、そんな自分を否定しないことも大事だ。もちろん極端に自己否定・他者否定になるのは、どこかおかしいが。

 今日はクリスマスイブ、明日はクリスマス。そしてじきに正月を迎える。慌ただしくもあるが、楽しい冬休み休暇の中で、今年は自分の傾向と渇望の原型を思索してみたい。

 縄文遺跡、縄文文化に燃えている私だが、その不思議な傾向と渇望のこころの原型をもう一度発掘(縄文病の表現)してみることは大事な気がする。それは、年始に一年の計を立てることにもつながるかもしれない。ロジャースの傾向と渇望の命題は次のとおり。

 有機体は、一つの基本的な傾向と渇望をもっている。すなわち、体験している有機体を現実化し、維持し、強化することである。

 写真は近くの熊野神社のお地蔵さんだが、賽の神だろうか石がお地蔵さんの列に混じっている。縄文からの心の傾向と渇望なのだろう。

 因みに、熊野神社ではないが近くの神社にはこんな風景もあり楽しくなる。

   

縄文スイッチ ② 5/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ <・クリック応援いつも感謝しています! o(^▽^)o


自分の個性を発掘する!(縄文スイッチ ② 4/10)

2014-12-23 | 第一章「意識と知覚」

 個性ということばはピンとこなかった。それがU先生の「生き甲斐の心理学」を学ぶ前のいつわざる感想である。まあ、表面的に同じような反応を示す日本人よりは、外国人のがいろいろ個性的なのかなという感想などはあったものの。

 では、「自分の個性を感じるには、どんな方法があるか?」と訊かれたらなんと答えるか、今日は朝からそんなことを考えていた。恐らく、個性確認につながるのは感情だと思う。しかし、その感情も多岐にわたるので、何となく漠然としてしまう。しかし、感情の基礎・原初感情として、好きか嫌いか、怖いか怖くないかは判別しやすく、自分にとってはとても役にたった。

 湧いてくる感情の中に「好き」という感情が含まれているか、その反対に「嫌い」という感情が含まれているか・・・まずはそんなところから感じてみることが大事かもしれない。そして、合わせて「怖いか」「怖くないか」も調べてみる。

 今朝会ったAさんに会った感情は?好きか嫌いか、怖いか怖くないか・・・こんなのでも良い。博物館や美術館で観賞する時も、解説を全く見ないで、原初感情で確認してみる。一番好きなもの、一番怖いもの・・・こんな訓練を楽しんでいると、自分の個性がだんだん観えてくる。

 勿論、人に「貴方は嫌いで怖い」などと言う必要はない。また、いくら倫理的にみてヘンでも、それをいったんは認めるのも大事だ(しかし、何か嫌だと思えば、訓練を中止することも大事、まずは無理をしない)。

 そして、自分の感情を大切にしていると、卵が先か鶏が先かよく判らないが、自己表現も上手になってくるようだ。自分の個性を大事にしつつ他人の個性を大事にするようになってくるようだ。

 さて、昨日は冬至だった。そして、何年かぶりに新月だった。まあ、縄文的に言えば一年の中で太陽が死に、そして月も死ぬ、感動的な日だったのだろう。

 残念ながら仕事の関係もあり、その大切な日の入りの瞬間は逸してしまったが、何回か外にでて太陽を観、そして多摩境の田端遺跡(ストーンサークル)で冬至のときは、丹沢の最高峰の蛭ケ岳山頂にちょうど日没するということなので、近くまで行って太陽を追っかけた。

 寒かったが、多摩境の近くの南大沢で日没の前に太陽が落ちる写真を撮ったが、確かに蛭ケ岳方面に日が落ちて行った。写真は日の沈む太陽であるが、右側に富士山の山頂付近が微かに見える。次の写真は、蛭が岳がはっきり写っている。

    

 

 尚、田端遺跡は縄文後期中葉から晩期中葉まで存続した遺跡だそうだが、田端東遺跡から国宝展にも展示してあった北海道の中空土偶にそっくりな土偶の一部が発掘されていて興味深い。

 佐倉市の国立歴史博物館での中空土偶のレプリカ

 

 縄文人にとって、丹沢の蛭ケ岳に沈む夕日は、好きか嫌いか、怖いか怖くないか・・・。縄文人の感情はとても気になる。

尚、町田市教育委員会の「発掘された町田の遺跡」と東京都埋蔵文化センターでいただいた「縄文人の見た風景と祈りの場探訪」を参考にしました。あらためて感謝です。

縄文スイッチ ② 4/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ <・クリック応援いつも感謝しています! o(^▽^)o


いとしい人に花で愛を伝える!(縄文スイッチ ② 3/10)

2014-12-22 | 第一章「意識と知覚」

 埋葬の時に花を手向ける。人間は不完全であるので、もちろん素晴らしい思い出もあるだろうし、思い出したくもない嫌なこともあったかもしれない。しかし、そんな人の死に際して、丸ごと愛おしみ人は花をささげる。

 愛とは何か・・・そんなことを教えていただいたように思う。

 さて、埋葬時に花をささげることは、現世人類だけでなく滅び去った人類にもあったようだ。有名な事例は6万年くらい前のイラクのシャニダール洞窟で発見されたネアンデルタール人だ。墓に花をささげたと思われる集中する花粉が見つかってる。そして、縄文時代でも長野県野尻湖に一万年以上前の墓にカシと楓の花が捧げられたり、他でも花をささげた形跡が見つかっている。私たちの祖先も、愛を死者に伝達するために花をささげたようなのだ。

 亡くなった人に対し魂に花をささげることも大事だとおもうが、生きているひとに愛を花とは限らないが伝達することも大事だ。マッサンでも鴨居社長が後悔していたことに、息子に伝えなければいけないことを、そのうち判ってくれると思い伝えなかった場面が印象てきだった。残念ながら愛は伝えなければ判らないものだからだ。そして、人は大切にされていることが判れば、それだけで癒されるものだ。

 今日は冬至。古来のイメージでいえば、太陽が死に、そして明日から再生する日だ。ゆず湯に入って感謝をささげたい。

縄文スイッチ ② 3/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ <・クリック応援いつも感謝しています! o(^▽^)o