イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

つながると観えてくる世界!(縄文スイッチ ① 7/10)

2014-12-16 | 第一章「意識と知覚」

 生まれてから最初の記憶。人それぞれだと思うが、私の場合は1歳7か月の時のもので日光に家族で行ったときの記憶である。考えてみれば、誕生後1年7か月も記憶がないというのは、ちょっと不思議だが、多分五感・体感の発達だけでなく、それを脳で感受し、時に内容を選別して大脳皮質に記憶するといった一連の機能がチェーンのように繋がってなかった為に意識化されなかったのだろう。

 こうしたチェーンは、「生き甲斐の心理学」にもあり。臨床心理学でカウンセリング理論で有名なロジャースの「心理療法上の必要にして十分な6つの条件」というものがあり、これも6つの機能(プロセス)になっていてチェーンに似ている。心の心理的接触(ラポール)はその第一番目で、人と関わりの強い職種にあるひとはご存じの方も多いだろう。その外に5つプロセスがあるのだが、自分の本音を探るにしろ、他者の心理的ケアをするにしろこのステップを踏むことが重要で、一生かけて習熟するような奥深いプロセスのようだ。

 マッサンもエリーさんも・・・朝ドラのマッサンの登場人物は難しい問題の真っただ中、各自チェーンを上手くつなげていってほしいと思う。

 さて、縄文スイッチ。心の問題でも今と同じように、祖先たちもいろいろ苦労したと思うが、今日は、縄文時代の水産物供給のサプライチェーンについてあれこれ妄想・驚嘆している。

 実は身近なところに大遺跡があり、先日飛鳥山博物館で見学し資料もいただいた。それは東京都北区の中里貝塚だ。北区教育委員会発行の「中里貝塚2」という小冊子とパンフレットを参考にまとめると次のような水産加工の事実になる。

 ① 縄文中期から後期(4600年前~3900年前)にかけての500年間、東京は縄文海進で海岸線が内陸によっていたが、中里周辺に専業的な水産物加工場があり、大振りのカキやハマグリが選別されて、春から夏にかけて採集され、木枠付土坑で大量に貝が煮沸等の処理でむき身にされ、そして貝殻を組織的に廃棄していたようだ。

 ② さらに、商品は中里周辺で消費するには余りに大量なため、内陸部等で消費されたのではと推定されている。それは、縄文中期から後期にかけて内陸部で遺跡が激減し人口減になってくる事実と中里遺跡の消滅の時期が連動しているからのようだ。

 なお、中里遺跡からは丸木舟まで発掘されていて、内陸部以外にもっ舟で輸出していた可能性もある(森の妄想)。舟による搬送は伊豆の神津島の黒曜石が有名で、充分考えられる。

 以上のことから、商品をデザインし(大きさ等)、その資源が枯渇しないように生態系を配慮しつつ採集(養殖かどうかは不明)、加工場や人と資材の供給、内陸部への営業(物々交換?)、内陸部への輸送、貝殻等の計画的廃棄・・・などのチェーンが繋がっていたことを意味する。

 そして、ふと思うが、このような大規模なシステムを運用するにあたり、文字が存在したのでは?ということだ。古ヨーロッパで紀元前7000年くらいにヴィンカ文字があり、紀元前4000年にシュメール文字といったように発展してきたようだが、日本にも何らかの文字があったのではと妄想してしまう。神代文字などの研究があるようだが興味が湧いてきた。

縄文スイッチ 7/10

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自分の問題の回答は自分の中にある!(縄文スイッチ ① 6/10)

2014-12-15 | 第一章「意識と知覚」

 昨日の選挙特番を見すぎて睡眠不足のためか、今日は何かいつもと違い朦朧としている。ただ、今日はオフなので、明日には通常に戻れるかな?と思う。

 しかし、今の日本の選挙制度は2大政党が熟成されていない中の小選挙区制。民意を反映しているのだろうか?例えば東京〇区の投票データをエクセルで分析すると比例代表選挙で30%としかないA党派(一番多いのであるが)のB議員が、C党の選挙協力により50%以上の得票を集めてB党議員として当選する。それが健全なのだろうか。しかも投票率は55%に過ぎない。選挙制度の問題は定数削減の問題だけではなく、有権者の民意が反映しやすい制度になっていなければいけないと思う(例えば、政党支持率の偏りから最適な選挙区(小選挙区とか中選挙区)を決める方式、棄権防止の施策など)になっていなければと思うが・・・。まあ、素人の妄想かもしれないが。

 重要な国の政治に民意が反映しにくいのは、実に問題だが、難しい問題であることも事実なのだろう。

 さて、今回の選挙も一つの、コミュニケーションの仕組みであるが、人と人のコミュニケーション、形は変わるが自分の本音を知るといった自分の中のコミュニケーションといった心理学的な問題もも難しいところがある。

 他人より自分の中のコミュニケーションのがたぶん簡単だと思うが、例えば『自分は何のために生きているのだろう?』という質問を自問自答してみよう。

 まあ、だれでも回答の一つや二つを想いうかべることが出来ると思うが、何故そうなのか?とより深く自問自答していくと、意外にいきづまる。生活もあり、社会の制約もあるのだから当然だが、最重要な問題が意外になおざりにされている。

 生き甲斐の心理学で学ぶ、防衛機制の知識とかロジャースの心理療法の必要かつ十分な6条件の知識があれば、自問自答は随分違うと思う。また、感情の処理方法の知識も役にたつだろう。

 しかし、生き甲斐の心理学の知識で一番大事だと思うのは、「回答は本人の中にある」という命題だ。『自分は何のために生きているのだろう?』はたぶん永遠の自問自答だが、その答えは両親や周りの人が回答できるわけではなく、自分で見つけていくものなのだろう。当たり前のようだが、他者の意見を真に受けたりして混迷を深めることは多いものだ(自戒をこめて)。

 蛇足だが、選挙制度も日本人が自分で決める大切な問題だと思う。他国の例をそのままコピーしたりしないて、自分の問題として考える筋のものだと思う。もちろん、国民も。回答は国民の中にあると考えるべきなのだろう。

あ、今日は縄文スイッチがオフのままだった。

縄文スイッチ 6/10

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フェイスブックを生き甲斐の心理学から考えてみようか?(縄文スイッチ ① 5/10)

2014-12-14 | 第一章「意識と知覚」

 昨日は某所でフェースブックの勉強をした。日常の中でだんだん空気のようになってきたフェイスブックであるが、あらためて振り返ってみると一昔前と随分違う人間関係をもたらしているなと感動したりした。

 人間は五感と体感をもつ存在だが、フェイスブックは視覚や聴覚といった五感に響く情報を単に受発信するだけでなく、場所に縛られることなく広域な仲間たちで情緒を含めた相互交流を可能にしてきているようだ。単なる情報伝達を越え、たぶん人類始まって以来の新しいコミュニケーションの時代なのだろう。

 ただ、それ故に感情の問題とか、今まで以上に臨床心理学的な知見などをもって、こうしたSNSを正しく使うノウハウが必要になっているのかもしれない。「生き甲斐の心理学」の観点から考えると、フェイスブックをより良く使うためには、①各自のアイデンティティの問題もある ②生育史の解釈の問題もある ③感情の世界をどう考えるかという心理学や哲学の問題もある ④他者に不快感を与えないような防衛機制の知識も必要かもしれない まあ、考え出すときりがないが、SNSを「生き甲斐の心理学」から考えるといろいろなことが浮かんでくる(自戒を込めて)。来年にはフェイスブックと生き甲斐の心理学といった勉強会を計画してみようか?

 ところで、縄文スイッチをオンにしてみよう、5000年前とか10000年前とか・・・私たちの祖先は、どのようにコミュニケーションをしていたのだろう。縄文語を話していたのだと思うが、文字はどうだったのだろうか。古ヨーロッパなどではかなり前に言語があったようだが、日本ではどうなのだろう。

 定住していたのだろうが、遠隔地の交流も想像以上にあったようだ(地方の名産があり、それがいろいろな地域で使われていたりする)。井戸尻の研究者には今の川筋沿いの国道と違って、海抜900メートルラインの等高線上を移動していたのではと研究している方もいらっしゃる。想像以上の移動やコミュニケーションは発達していたようだ。そして、コミュニケーション技術はどうだったのだろう。

 ちょっと話は大きくなるが、考古学の後藤和民先生の本で知ったが、縄文時代は弥生時代と違い戦争(人と人が殺傷しあう)が無かったようなのだ。これは世界史的にも珍しい不思議な10000年。ひょっとしたら、感情等のセルフコントロールが極めて発達した文化だったのかもしれない。

 まあ、今日は縄文スイッチを一旦オフにして、フェイスブックのことでも今日は考えよう。

縄文スイッチ 5/10

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こころの繋がりを考える!(縄文スイッチ ① 4/10)

2014-12-13 | 第一章「意識と知覚」

 日々の暮らしの中で、ふといろいろな人との出会いや別れを考える時がある。昔はそんな時、ちょっと感動したり、感傷的になったりしただけだったが、最近は「生き甲斐の心理学」を通じて臨床心理学の基本を学んだこともあり、他者とのこころの繋がりを考えてしまいがちだ。

 心の繋がりは、自分自身との心の繋がりもあり、それもなかなか難しい問題だが、他者とのつながりは輪をかけて難しい。深層心理学的には他者は驚きの対象とも言われ、まるで未知の世界に踏み入れたときの不安でくらっとすることも。それを乗り越えなければなかなか心は繋がっていかないのだが。

 さて、縄文土器や西欧の新石器の図像を最近眼にすることが多いが、これまた同じようにくらっと不安を感じるときがある。縄文スイッチオンかな笑)。

 脳の進化程度は現生人類が20万年前にアフリカで誕生してから殆ど変らないということでもあり、私たちの様々な精神活動の根が縄文・新石器文化、さらに旧石器文化と果てしなくのびていることは間違いない。蛇や卵、カエル、女性といった図像の背後にも、恐らく私たちと同じような感情の世界があり、精神文化があったのだと思う。しかし、今の倫理道徳や社会観念と数千年の時を越えると違うところもあるのだろう(どちらが良いかは相対的なのだろうが)。

 図像だけだと、とりとめのないものになりがちだが、例えば日本神話とギリシャ神話のある部分が極めて酷似しているということがよく言われる。イザナギの冥界行きでイザナミが黄泉の国の食べ物を食べてしまったというくだりがある。ギリシャ神話ではペルセポネが冥界の柘榴を食べた話と酷似している。他にも、アマテラスの岩戸の話でアメノウズメが滑稽なしぐさで踊るが、ギリシャ神話ではバウボがデメーテル(女神)を和ますためにやはり同じように踊る。

 そんなことで、縄文土器の図像解釈は、世界中の土器等の図像や神話等を手掛かりとすると観えてくるものなのだろう。さらに、今では失われている神話が室町時代の文献に現れているということもあるようで、もう縄文スイッチはいたるところに!

 収拾がつかなくなりそうなので縄文スイッチをいったんオフにするが、先の他者と心の繋がりをつけようとするときに湧き起こる不安。こんな時は、やはり信仰の力が一番なように思う。正中線を正すというか・・・。

 そんなことを考えていたら、今日はU先生のブログに謝祷の話があった。とても良い話で全く同感してしまう。よろしければ、是非ご覧ください。U先生、ありがとうございます!

縄文スイッチ 4/10

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洗濯機と縄文土器に共通なものは?(縄文スイッチ ① 3/10)

2014-12-12 | 第一章「意識と知覚」

 先日、洗濯機の調子が悪くなり、随分使ったこともあり新しい洗濯機を買い換えたに。殆ど同じ大きさで洗濯物の容量が30%くらい増えたり、洗濯ものがほぐれた形で仕上がったり、洗濯中の音も静かになったりで技術の進歩(10年くらいかな)を感じ嬉しくなる。しかし、縦型の洗濯機の基本方式は円筒形の筒の底のかくはん翼が回転し、それによる水流で洗浄するといううずまき方式は同じだ。

 回転しうずを巻く・・・・ここで縄文スイッチがオンに!縄文文化をはじめ世界中の新石器文化では、蛇文様等が沢山でてくる。蛇は脱皮をし、激しいほどの生命力をもち、宇宙創生(二匹の蛇で激しい水流をつくり世界を回転させる)にも登場するようだ。原料を入れて土器で煮炊きすると、おいしい食べ物に変わる神秘。それが、土器に象徴的に蛇が描かれる原因だったのだろう。

 洗濯機も、なにか縄文土器に似て、汚いものが綺麗になる。そうした神秘的なものだ。縄文土器のように蛇や渦巻文様をあしらったデザイン、ネーミングもスネークちゃん、などという洗濯機があってもと思うが私なら買うのだが?

 ちなみに、この蛇や渦巻は、食べ物などとの関わりもあるが、葬送用の土器にも描かれ、現世的なものだけでなく宗教的な意味合いも大きい。今日のマッサンのエリーさんの事件、エリーさんも周りも悲しみの極致であるが、縄文文化の一部には死産の子供の遺体は特別に住居の入り口の下に埋葬する習慣があったようだ。縄文公園にいったりすると、入口がちょっともっこりしていることがあるが、それである。昔も今も無垢な子供の死は大きな悲しみだ。エリーさんとマッサンの赤ちゃんが天国で幸せになるようお祈りしたい。

縄文スイッチ 3/10

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