イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文時代の真善美!(縄文からの風 ⑥ 10/10)

2015-03-19 | 第九章「愛」

 私の祖先も恐らく確実に縄文人と繋がっていると思うが、当時のことを具体的に想像するのは楽しい!

 今私の住んでいる多摩も、一昔前は大河に囲まれた豊かな森があり、鹿やイノシシ、食物も栗やクルミ、川魚は勿論、鳥もカワセミをはじめ美し鳥が沢山いただろう。山のほうに行けば今と同じような美しく可憐な高山植物はもっと沢山あったかもしれない。

 食生活も充実していただろう(飢饉の時を除いて)。海に行けば1mくらいのタイを食したり、大きなハマグリやカキを山ほど食べたり。ドングリを粉にしてあく抜きをして土鍋でつくった主食はどんな味であったのだろうか。粟やイネなども主食にはならなかったかもしれないがあっただろう。

 美的センスに溢れた装飾品や衣服、木器、土器のデザインも凄かったと思う。縄文人にも有名なデザイナーや工芸家が居たと思う。山のほうの村の特産品は、漆やエゴマを利用した木器や耳飾りなどの装飾品だったかもしれない。深い生命の真実などを表現することに命を捧げた人もいるだろう。

 真実や善を探究する人もいただろう。宇宙の神秘、生命の神秘。どのような神を祀り、どのようなイメージで神に接したのだろう?どのような感情が湧き起こり、どのような思索を積み重ねたのだろうか?滝に打たれたりして修業をする人もいただろう。

 今と同じく、伝統宗教や思想があれば、新興の宗教や思想も時代に合わせて興っただろう。当時の縄文人と現代人も脳の構造等はほぼ同じ、同じような現象が起こっても全く不思議ではない。メソポタミアの宗教を勉強したりすると、そう思ってくる。

 マッサンのように、美味しい酒造りに生涯を捧げた人もいただろう。ニワトコの酒、山葡萄の酒・・・・

 アルプスのアイスマンは縄文中期前葉の時代の人だが、ツボ療法を行っていたらしい。当時も医療に関わる人は確実にいただろう。縄文後期の障がい者の成人の骨が北海道で見つかった。当然ながら、何らかの福祉用具が存在していただろう。

 丸木舟は3万年以上の歴史があり、車輪に関してもメソポタミア文明の最初のころからあったようだ。縄文時代の丸木舟は沢山でてきているが車輪は見つかってないかもしれないがあったのではと思う。長野県の井戸尻遺跡等からのの研究で標高900mの村が多いことが判っている。同じ標高で村をネットワークする道をつくり、車輪をつかった交通用具があっても不思議ではないが、どうなのだろう。馬や牛が家畜として陸路に利用される前なので、道路は高低差がなかったのでは?

 縄文人も個性があり、真善美との接し方も人それぞれであっただろう。

縄文からの風⑥ 10/10

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気になる人をどう考えるか?(縄文からの風 ⑥ 9/10)

2015-03-17 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 学生のころは、数学が得意であったが、国語や社会はどちらかと苦手であった。特に国語は、試験などで問題文を読んでいると、いろいろ妄想?したり、四択問題などで悩みきったりで成績も良くなかった。

 それが、今はどうだろうか?心理学を中心に歴史、文学・・・まあ、文科系的だ。これってなんだろうか?そんなことを考えてしまう。

 これは、興味分野であるが、人でも同じ傾向がある。人生、様々な出会いがあるが、ちょっと気になる人、あるいはどちらかというと避けたい人という存在がある。そして、あとで思い出してみると、つきあいやすい人などより、この気になる人から大きな影響を受けていたりする。

 U先生のブログに「不可解な人の存在の意味」という文章があるが、心理学的には①人間観を健全にする。②嫌な感情も経験するなかでフロイトの14の防衛機制の教育になる。③現実吟味力を育ててくれる。こんな効果があるようだ。

 私も、50過ぎて大きく人生の舵を切ってしまったが、その中で出会った「気になる人」は、やはり大きな糧になったようだ。

 この知恵は、多分縄文時代でも同じだろう・・・

縄文からの風⑥ 9/10

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個性が輝くとき!(縄文からの風 ⑥ 8/10)

2015-03-16 | 第十章「今ここでの恩寵」

縄文中期 今週の金曜日には、新宿歴史博物館で生き甲斐の心理学の勉強会を開催する予定があり、縄文人の一生について、いろいろ思索をしている。もちろん先史時代なので、分からないことが山ほどあるが、その中で祖先たちには、何のためにいきているのかを思索し、自己実現の道を歩んだ人も確実にいたのだと考えている。

ちょうど、昨日は宮澤賢治の読書会があり、「虔十(けんじゅう)公園林」という短編の童話を学んだ。その中で一番感動したのは、人の良い虔十が一生で一度、人に逆らって杉の木を「伐らない」と自己主張をする場面であった。

やはり、自分の個性というか魂というか、それを発現する道は簡単ではない。自分の中の魂の声というか、本音というか、それを自分自身で聴き取ることも大事だし、それを上手く表現することも、主張することも大事なのだ。縄文中期に生きた縄文人、富士山の噴火をはじめ自然災害のなかを生き抜いたりした祖先。今では当たり前に存在するものも、当たり前の文化も意外にも先人が苦難の中で発現してきたことも多いのだと思う。

今、興味を持っているのは①「和をもって尊しとなす」という精神文化はどのように生まれたのか。②富士山の大爆発のとき、どのような災害計画をたてていたのか。③中里の水産加工所はどのようなシステムだったのか。森と海・川の縄文時代祖先のことを考えると、自分の自己実現の道が透けてみえてくるようだ。

それにしても、現代の遺伝子人類学を始め、縄文時代に関する知見を集めてみると観えてくる世界が確実にあるようだ。

縄文からの風⑥ 8/10

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無意識の世界と美!(縄文からの風 ⑥ 7/10)

2015-03-14 | 第三章「無意識の世界」

 最近、昔の記憶のことを考えることが多い。例えば、8歳の時、給食の時間に一人静かに妄想?していたら、突然担任の先生から褒められたことがある。いつも落ち着かない子供が静かにしているので褒められたのかもしれないが、さらに深く考えるとその前後の経緯とか、私がアラスカから帰ってまもなくのころだったこととか、先生の気遣いなども浮かんでくる。

 当時の8歳の私の意識、五感は記憶の中に含まれているのだが、その記憶パッケージを今の大人の眼から再考すると別の解釈が浮かんでくるのだ。その記憶は、結構普遍的な意味のあり驚いたりする。

 心理学というと夢分析とか催眠療法とか想いうかべる人も多いが(かつての私もそうであった)、今は私は通常の昔の記憶だけで充分であるし、感情の解釈など日常活動のことも含めれば、もう手一杯という印象だ。それで無意識の世界の神秘も十分味わえるのではと思う。

 蛇足であるが、無意識とは関係がない話かもしれないが、写真にからめて次のようなことを想った・・・

 写真は忍野八海の湧水池だが、綺麗で澄んでいる湧水は素晴らしい。噴火をものともせず、湧水に惹かれて住居を構えた縄文人の美的感覚も素晴らしかったのではと思う。昔読んだ旧石器時代の本にあったのだが、人がシベリア等の極寒の地に行ったのは食べるためということもあったが、美しい草花に惹かれたのではという推測があった。現在、高原で観ることができる高山植物の大半は氷河期に由来していて、それが高山に限定的に残っているという話を聴いたことがある。富士山は約10万年前からの山であるので、高山植物がないのは若い山だかららしい。

 

縄文からの風⑥ 7/10

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直観のことを富士山で考える!(縄文からの風 ⑥ 6/10)

2015-03-13 | 第八章「魂と聖霊」

 昨日と一昨日の二日間、富士山の北の麓の富士吉田市から南の御殿場、箱根方面をじっくりまわってきた。一番のお目当ては縄文中期に富士山の噴火で被災した上中丸遺跡周辺を探索することであったが、天気も良く目的は達成できた。また、富士塚や富士山の歴史にもこの一年いろいろ興味が湧いていたこともあり、近世の山岳信仰の地なども訪れることができて幸せだった。

 

 しかも、この季節。寒いけれど富士山が実に美しい季節であるが、天気にも恵まれて堪能させていただいた。

 さて、こうした旅の中で、このところのテーマでもある防衛機制が外れたときのアイデアとか、直観がひらめくときのことを考えていた。そして、やはり旅でひらめいたのだが、直観の意味の深さだった。

 直観とは何だろうか。いろいろなことが頭をよぎる。

 〇アナログ的なイメージが突然湧いて、しかもデジタル的にもつじつまが合う現象。

 〇縄文時代に遡っても、例えば土器を初めて作る。そのアイデアはいかなるものだったか。どんな場所で思いついたのだろうか。あるいは糸という弱い繊維を組み合すことで縄という強いものを何故つくれたのだろうか。翡翠(ヒスイ)に穴をあけることを誰がどのように考案したのだろうか。作った人はどんな場面で・・・

 〇土偶をこわす祭りを最初に考えた人は、どのような場所で何故思いついたのだろうか。その時の宗教的直観はどのような場所でどのような状況で生まれたのだろうか。

 〇富士山の噴火での危険をどのように察知し逃げ、そのように安全を察知して戻ったのだろうか。

 〇和をもって尊しとなすという今日でも立派に通用する原理は誰がどのように思いついたのだろうか。

 そして、心理学では、どのように考えられているのだろうか。たまたま読んでいたジェイムズ・ヒルマン著「魂のコード」(河出書房新社)にはつぎのような素晴らしい説明があった。

 心理学においては直感は「直接的で非媒介的な知識」とか「複雑なデータ群の即時的あるいは生得的な把握」とされている。」直感は思考していない状態であると同時に感情の状態でもない。直観は、明晰で素早いもので、かつ全体的な理解をもたらす。「プロセスの即時性がその大きな特徴」なのである。直感は「いかなる既知の知覚や内省的思考のプロセスも伴わずに起こるもの」である。132Pより抜粋しました。ありがとうございます。

 いろいろ厳密に書いてあるが、「不思議 or 神秘」という意味がどこかに潜んでいるような説明だ。ある文学者が結晶化現象と呼んだのも直観なのだろう。なお、直感を得られる条件としては、やはり何らかの期間、関係する分野で悩んでいる。そんなことが必要条件かなとも思う。

縄文からの風⑥ 6/10

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