イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

エッセンスを意識してみる! (つながること 9/10)

2016-02-12 | 第九章「愛」

 創造理論というのがあり、偉大な文豪や科学者の思索を研究し、それを体系づける理論がある。私は、若いころにその魅力につかれてから、今にいたるまで、その理論を研究している。等価変換創造理論というものだ。

 蝶の完全変態をつかって、その理論を説明することが多い。青虫が成長し、生殖の関係もあるのだろうが、蛹になる。このとき、青虫はアミノ酸レベルまで分解するというが、蛹の段階が終わると、まったく異なるように見える蝶になる。

 実に不思議な青虫から蝶への変化であるが、恐らく蛹の中で、分解されたもの、新しく生成されたものもあるが、そうではなく命を貫いていたエッセンスは在るのだと思う。

 世の中には、そうしたエッセンスの影を観ることが多い。例えば、階段とエスカレータ。形は似ているが、人とのかかわり方が正反対である。でも、この二つを貫くエッセンスがある。人が動くかエスカレーターが動くかの差はあるが、人が低いところから高いところに動くことは同じだ。

 創造の世界はこんなであるが、心の課題を解決するのにも似ている。支援者と非支援者の間の交流でも、心がかよっている中で、何かの最小限の伝達が非支援者にとって、大きく作用し、非支援者自らが新しい回答を見出す。

 つながること 9/10

 


文章表現に興味津々なんです!(つながること 8/10)

2016-02-11 | 第一章「意識と知覚」

 昨年から、縄文小説や論文の執筆もあり、文章表現を考えることが多い。そして、最近は、文章のプロの人から話を聴いたり、文章の書き方についての本を読んだりするようになった。

 そして、気づいたのだが、文章表現の世界も生き甲斐の心理学の世界に似ていて、誰でも知っているようで、深い知恵の世界が背後にあり、極めていくと世界が変わってくると。

 例えば、句読点のつけかた。学校でも習ったようだが、私の場合全く身についてない。息継ぎをするところで点をうつ・・・というようなことを朧げに意識していたが、プロの方からすると違うようだ。意味のまとまりを意識するのがポイントだそうだ。そんなことは、今まで意識したことがなかった。

 文章の冗長なところをそぎ落とし、簡潔にしていくということは重要だと思ってたが、さらに奥があるようだ。

 そぎ落とし、極限に到達した文章は、俳句や和歌ではないが、冗長な文章と比べてはるかに力があり、時に質が大きく変化することも。このあたり、生き甲斐の心理学でよく言われている「体験の解釈が世界を変える」に似て神秘的だ。

つながること 8/10

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愛の孤独を越えるには!(つながること 7/10)

2016-02-10 | 第九章「愛」

 今年になって、映画をよく見ている。やらなければならないことが沢山あるのに、逃避なのか見てしまう。今年の初めは小津安二郎の晩春など、そして昨日は1972年制作の「旅の重み」。これが、また良かった。学生のころに素九鬼子の同名の小説を読んで感動したものの、その後話題となった、高橋洋子や秋吉久美子が出演する映画を見損ねていた。それを40年以上の月日がたってから観たのだった。

 40年もたっていると、小説の内容も99%忘れているが、不思議なことに最近気になっている四国巡礼の話だったことには驚いた。そして、主人公の16歳の女性は、複雑そうな母子家庭?を抜け出し、巡礼の旅に出る。愛媛県(彼女の母のいる場所)と高知県が沢山でてくるが、私のルーツが愛媛県だったことを最近知ったので、背景の美しい風景も祖先の息づいていた土地と、興味をつのらせて見てしまった。

 テーマはまさに愛の孤独。主人公は愛の孤独の中で、さまざまな人と出会い、最後には愛する人を見つける。愛の孤独を生き抜き、何かを乗り越えたのだ。一方、彼女が出会った同年代の女性は、同じように小説を愛する少女だったが、自殺をしてしまう。愛の孤独の恐ろしさ、そして、逆にありがたさを知る映画だった。

 傾聴や心理療法の6条件など、実は愛の孤独の問題と密接な関係があると今では思っている。家庭でも、学校や職場でも、この愛の孤独を癒していくための6条件などと、出会うことは少ないようだ。さらに、エリクソンの理論からすると、孤立感は親密性と愛が解決のポイントとなるというのだが、例えば、愛について十分思索し教えてくれる人は少ないようだ。

 「旅の重み」では、まだ若すぎる少女には分かりにくい、愛の大切な要素が暗示されていた。身体の愛も、やや前面に傾きがちだが馬鹿にできないだろう。映画では母子関係が一つの問題だが、そうした生育史を受容すること(母との和解)も、こころの愛として大事だろう。そして、四国巡礼が暗示する、魂の愛も決して忘れてはならない。

 また、こうも考えられる、愛は真善美と関係が深いと私は思う。そして、映画の四国の田園風景をはじめとする映像の美、優しい巡礼者への善意、年よりが主人公に手を合わせる場面では、日本人の魂を大切にする文化が息づいていたように感じる。仏性とか人の身体は神の神殿とか、伝統宗教のなかで言われるが。

 つながること 7/10

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傷ついている相手を支援するといっても・・・(つながること 6/10)

2016-02-08 | 第五章「和解と平和」

 傷ついている相手を支援するといっても、人は傷ついていると様々な反応をするものである。静かに途方に暮れているだけではない。普段なら軽く受け流すことを、重く受け止め過剰反応したり、感情転移から支援している人を攻撃したり、・・・いろいろである。

 支援者まで、とばっちりを受けたりすると、退散したくなるのは人情であるが、立場上逃げられなかったり、背水の陣で支援しなければならないときもある。逃げられない時、そこにある最後の砦は人間観だけだろう。

 個人対個人の場合も人間観が重要になるが、もっと大きく集団対集団の場合も人間観が重要になる。ここでは、個人対個人について考える。

 人間観は日々刻々と変わる感情も超えることがある。時には、理性をも越えることも。人間観とか人権意識を考えていくと、私の場合は狭い自分を超えた何かにまで行ってしまう。

 先日、洞爺湖の近くの入江貝塚の、ポリオで20年近く寝たきり状態だったと思われる女性の遺骨のことを思索した。縄文時代はどうも弥生時代以降と比べると魂を持った人間(人間だけでなく様々な動物や植物も)を大切にしていたようだ。それは、信仰の世界だったのだろう。そうでないと、恐らく感情や狭い理性では超えられなかったろう。

つながること 6/10

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いつもと違うね!(つながること 5/10)

2016-02-07 | 第七章「光と復活体」

 昨日は新宿で今年はじめての勉強会に参加した。この季節、少し暖かくなったとはいえ良い気候ともいえず、参加された方にはひたすら感謝であった。

 さて、傾聴や心理療法などでは、ロジャースの6条件(心理療法の必要にして十分な条件)が有名である。先にお話ししたラポールの問題もあるが、通常傾聴をする場面では、相手の状況を推し量ることが大事になる。いつもとちょっと違うなとか、専門的に言えばプロセススケールが低かななどである。もちろん、傾聴など関係ない生活を送っていても、普段接する人が、いつもと違って何か元気がないなとか、カリカリしているなとか、こういう状況に相手が陥っている場合は、接し方も普段と同じではいけないと思う。また、自分も変に元気がなかったり、カリカリしていたりする時も用注意である。お互いに増幅して喧嘩などしたりすれば、相手を支援するなどとんでもなくなる。

 人のことだと意外に無頓着になるのが人の常(自戒をこめて)なので、落ち込んでいた時、カリカリしていたときの自分を思い出すのが大事だと思う。そして、そんな時にどういう接し方をされて、元気になったとか、癒されたとかを思索するのも大切。自分のことを研究することで、心理学の理解はずっと深まる。本を読んだり講義を聴いたりする以上に、自分の経験と理論の関係を学ぶと知識が身についてくるものだ。

 さらに、勉強をふかめて、自分はどういうふうに変になっていくのか・・・を思索すると、とても勉強になる。その場合もエリクソンの8つのパターンは役にたつ。

つながること 5/10

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