イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

つゆに感じる新しい経験の原型!(新しい体験 3/10)

2016-06-15 | 第二章「五感と体感」

 梅雨らしい日々が続いている。外にでるとひんやりした体感。傘をさしたときに雨粒にあたった時の触感。気持ちの良いときもあれば、何か嫌な気分になるときもある。こうした梅雨にまつわる五感からくる体感は、私の場合は決してネガティブでもなく、時に平安感や幸福感をもたらすところがある。

 生き甲斐の心理学を学ぶと、感受性訓練をすることを覚える。これは自分の好きか嫌いかという感情、怖いか怖くないかという原初感情を大切にしつつ、自分の感情を恐れず受け入れるということかなと自分でかってに解釈している。そして、自分の感情をより理解することで、理性も大事だが感情を知ることは意味のあるものだと思えるようになる。自分の感情の解釈力をつけることの楽しみいうものだろうか。

 梅雨が嫌いとほとんどの人はおっしゃるが、自分はどうなのか?<実は好きであり、怖くない>と小声で言いたくなる時がある(嫌いな時もあるが)。それは何故なのだろうか?いろいろな考え方があるが、生育史を考えるのは常道である。

 南西アラスカのシトカというところに7歳のときに滞在した経験がある。父がアラスカに一緒に行くかと尋ねられていくことにした。アラスカといっても島で日本暖流が通っているので雪より雨が降ることが多い。森と海と湖の地である。日本の縄文時代は10000年以上続いたが、この地も江戸時代の前まで植民地支配があるまでは独自の文化を築いていた。したがって、基層の文化は縄文文化に意外と似ているのではと思う。

 1958年くらいの時代であり、ある日突然土地の小学校(英語ばかり)に編入されたりしたが、子供の適応力は結構なもので日本の小学校に入ったときより自然体で約1年楽しむことができたのだ。母がカトリックの信徒であった関係から現地の教会やプロテスタントの方といっしょに土曜学校なども行き、仏教徒であった父もクリスマスを大きなクリスマスツリーを山から切り出してお祝いなどをした。その良い思い出が、シトカの毎日が梅雨のような思いでとどこかでリンクしているように思う。

 エリクソンでいうと、5-7歳の目的志向性の時期にぶつかるが、その中で芽生える自発性という明るい感情が、梅雨のような天候と関係があるようだ。そして、雨の日でやるせない罪悪感というか、そんな気分の時でも、旅や歴史について思索したりすると、むしょうに旅行に行きたくなったり、縄文時代についてもっと知りたくなったりする。

新しい経験 3/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ <・クリック応援いつも感謝しています!

 


新しい体験を心理学的に分類してみる!(新しい体験 2/10)

2016-06-12 | 第一章「意識と知覚」

昨日の続きだが、縄文時代の糸づくりの体験がどうだったか、を生き甲斐の心理学で学ぶ人格形成論から今日は考えている。

昨日の糸は一晩寝た後のいまでも、私にとって衝撃的である。人類が火を知ったことは革命的である。人類が初めての家畜として犬を得たことも画期的である。しかし、繊維から糸やロープをあみだしたことも画期的なことであった。これにより、石器を固定することができ、弓矢のような飛び道具もでき、衣服等にも応用できるようになった。画期的な基礎技術なのだろう。

この写真は、私が半分落ちこぼれつつ作った、カラムシの繊維から作って両撚りで巻き上げた糸である。私にとっては思い出深い写真だ。

さて、新しい体験をすると、この糸づくり体験のように心が躍る経験となったりするが、ロジャースの理論の命題11を下敷きに、私が三つに分類を考えると次のようになる。

①五感でしっかり認識し自分で経験を言語化でき、自分の生き方が強化される。

②自分との関係性がわからないので無視される。

③上記二つの中間で、もやもやとした状態で、歪曲して理解したりする。

どれが良いか悪いかということもないが、この3つの分類を知っていると、新しい体験を深める上で役に立つ。今回の私の糸体験は、おそらく①②③すべてがそろっていたように思う。次のような具合だ。

糸の発見は人類にとって画期的だ、それゆえ今の私がある。発見した祖先に感謝・・・こうした反応は①だと思う。

考古学の専門家は両撚りをマスターすることが大事で技術の取得を熱心にする。しかし、私は違うので、もういいや(技術に劣等感も感じたし)。こうした反応は②だろう。

3時間もカラムシから糸を作ることの専念したのに、私はどうも他の人のようにうまくできなかった。・・・年配者にはちょっと無理な教室だったのでは?しかし、継続してやってもいいかもしれない。こうした反応は③かもしれない。

このような、反応が同じ私からでてくるのだが、一番大切にしたほうが良いのはおそらく③ではないかと思う。アイデンティティが統合されておらず、大きく自分を変えられる可能性がある領域だからだ。

ということで、しばらく糸づくりの修業を継続するかもしれない(笑)

新しい経験 2/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ <・クリック応援いつも感謝しています!


糸一本で新しい世界が見える!(新しい体験 1/10)

2016-06-11 | 第一章「意識と知覚」

 生まれて初めての記憶、幼稚園に初めて入った日、初めて海外に行ったとき、・・・初めての体験は人生に大きな影響を残すようである。

 さて、今日は近くの埋蔵文化センターに「古代の糸づくり教室」に参加した。糸に興味を持つことなど私の人生の中では今まで全くなかった。当然自分の衣服に関する意識も薄かったように思う。それが、縄文小説を書く気持ちになった時、当然ながら当時の人はどんな衣服をまとい、どんな道具を使い、狩りや漁撈をしていたかが重要になってくる。

 心理学では、図と地ということをよく使うが、私にとって縄文小説を書こうとする以前は糸は地に過ぎず、今は図になっているようだ(難しい専門用語をつかったが、要は意識しているか否かだ)。

 午前10時から午後3時まで、専門家による指導のもと代表的なカラムシという植物(どこにでもありそうな雑草)の茎から繊維を抽出し、その繊維から糸を作り、それからストラップを作るという貴重な実習に参加させていただいた。繊維=糸、とのんきに考えていた私にとって全く新しい経験であった。

 

 糸一本をつくるにも想像していた以上の時間がかかるようである。今回の場合はカラムシの茎を採集し(当然、葉は落とす)、それを二日間水につける。そして、その表皮を向いて、さらにそこから道具を使って繊維を採集する。さらにそれを乾燥させ、両撚りという縄文時代につかっていた方法で繊維から糸を撚る。

 残念ながら、半分落ちこぼれた私は、目標の50センチの糸がちゃんとつくれなかた。人生を経験したと錯覚していた私も、3時間くらいかけてそんなものだった。

 縄文時代の祖先は、そうした糸をつくり、恐らく半年以上の時間をかけて糸から衣服を作ったようだ。気の遠くなる作業。今では古着など買う人もいなかったりするが、ほんの5000年前など?では全然違うのである。多大な労力を使って愛する人(自分の場合もあるだろうが)のために衣服をつくる。こころ温まる気がする。

 人生では、当たり前のことがそうでなくなる経験をすることがある。この糸づくりはそんな疑似体験だったかもしれない。そして、世の中に隠れていたありがたさに気づくのだ。

新しい経験 1/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ <・クリック応援いつも感謝しています!

 


行きずまったとき、観点を変えてみる・・・(役割を考える 10/10)

2016-06-10 | 第三章「無意識の世界」

 縄文小説を書くとなると、関係するものには何でも興味をもつようになる。ムササビやタヌキ、イノシシ、オオカミの生態はとなると動物園に(多摩動物公園が近いのが幸い)。どんな衣服を着、どんな糸を使っていたのか・・・などとなると埋蔵文化センターの講座を受けたくなる。

 どんな言葉を使っていたとなると、日本語やアイヌ語、さらに近くの地名なども見過ごせなくなる。5-6年前のなんとなく停滞しているという感じは全くない。すべてが今は新鮮に見え、興味が湧く。

 役割ということをずっと考えてきたが、この役割についても、さまざまな観点を持つことは大事なことかもしれない。父はこうあるべきだ・・・という考えがもしあるとすると、世間の常識や両親や祖父母の影響をずいぶん受けているかもしれない。しかし、5000年前の祖先は、どう考えたのだろうとかを想うと、役割そのものに対する見方が結構変わり、楽になったりもする。

 かつて、若かりし頃、初めのコンピュータの営業で苦労したことがあったが、そのときの先輩の助言がよかった。「まさか、殺されることはない・・そんな風に考えてみたら」

 生き甲斐の心理学でもフォーカシングという日本でも有名な手法を学ぶが、その中に悩んでいるときに、最悪のケースと最善のケースを考えるということがある。実際は、その中間に落ち着くという着地点を意識することが大事だということだ。その先輩は、特に心理学を勉強していなかったが、生活の知恵ということなのだろう。 

役割を考える 10/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ <・クリック応援いつも感謝しています!


役割の中でのコミュニケーション・・・(役割を考える 9/10)

2016-06-08 | 第四章「愛とゆるし」

 役割というと上下関係とか指示関係がつきものであるが、そんな中でも如何に相手と深いコミュニケーションをとるかがカギの場面がある。相手が難しい選択(本人が決めるしかない)を迫られているとき、相手が混乱しているとき、困っているとき・・・、その反対のときもあるが。

 そんな時「生き甲斐の心理学」では、回答は本人の中にあるという考えがあり(生育史が違うし、置かれている環境もちがうので、差し出がましいこちらの回答?はだいだい役にたたないという考えもある)、それを促すような受け答えを重視している。人の身体は神の神殿といった人間観も背景にあるが。

 考えてみれば、日常の中でも結構、こうした場面は多い。

 カールロジャースの傾聴の6条件の中に、無条件の肯定的配慮という、頭の痛くなりそうな概念があるが、これがそういう時の鍵である。こころの内にAなら良いがBは絶対的にダメといった先入観で人の話を条件付き?で聴くのではなく、なんでも来い、私は基本的にあなたを信頼している・・・といった想いで、少なくとも相手の回答を否定しないで肯定的に受けとめるということだ。

 決して、卑屈になってBが出てきて賛同するというのではなく、Bが出てきても相手の立場を考えるとさもありなん・・・と理解するところから始めるのだ。

 こうした、無条件の肯定的配慮は結構難しい。特に自分の道が不安定でブレやすくなっていればうまくできない。

 日々の生活の中で、時にこの無条件の肯定的配慮を思い出すことは大事だと思う。そして、遠回りのようだが、「自分は何のために生きているのか?」といった自問自答を時々考えることが意外に大事だ。

役割を考える 9/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ <・クリック応援いつも感謝しています!