田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

疲れたと 云えずに 背筋を伸ばすビーバー

2008年09月14日 | 日記
9月14日(日) 雲は多いが 陽が射す 晴れ 爽やかな秋空

早朝6時過ぎに公民館前に集合して農業地域廃水処理場の清掃に向かう。
ここの施設は5つの集落をまとめて区とされており、区の単位で生活雑排水、屎尿の処理を行っている。
秋の役は俺の住む集落が当番になっている。
草刈と建物周囲の植え込みに生えた草を取る作業だ。
約1時間半で終了となり元の公民館へ全員が戻った。
余りにも慌ただしく家を飛び出したためにカメラを持たず画像はゴカンベンヲ

次は同じく区の行事として道普請をすることになっている。
俺の当番は拙宅に面した道で蝶に出会う道、余り草刈はしたくないのが本音なのだが・・・
下から一本道で急な登り坂、もっとも反対側を刈るときには下り坂になるから平均すれば平だと云われる。
本来は3人の役夫でやるのだが、隣の別荘族はお出かけ、もう一人の家は老婆と息子さんは病弱故外れている。
別荘族には場所を残すと云っておいたが、最後は他の地域から引き上げて来たグループが刈り取ってしまった。

このような集落内のそれぞれの地域(道)の草刈と、簡単な道路整備を行うには区長様からの命令書があるのだ。
田舎暮らしも集落のなかでノンビリと・・・・などとは云っていられない。
賦役は地域の自然を保つために必要不可欠だろう。
特に田舎の小さな行政組織の村や町では集落内の道路舗装などは、資材は行政が提供するが人足は集落で賄うことが当たり前になっている。
田舎暮らしは年をとってからでは管理されてる別荘地が良いのかも知れないが、人とのと付き合いは都会並みだろう。


道普請を終えると直ぐに公園の草刈と草取りを行う。
俺は庭の秋明菊が増えすぎたので持っていって植えた。
植えてみると何処へ植えたのか判らないくらいに存在感が少ない。
この公園も3年を掛けて最終段階となり今年は県の地域元気支援金を受けて四阿を建てることになっている。


全ての作業を終えて家に戻ったのは11時半すぎになった。
庭の東のハズレにいくとウドの花に蝶がとまっているミドリヒョウモンの♀♂だろうか
盛んに交尾を迫っているようだが・・・・・最後は何もなく別れたのでした。


東側の植え込みの中には“ミドリヒョウモン”だと思うが・・・・


家に入るために北側に回り込むとムラサキシキブにキタテハが止まっているのがわかる。
朝から7時間掛けて労力奉仕をしたことになるが・・・・


追記(080915朝)
昨夜は7時から町づくり研究会の役員会、昼間の疲れから頭の回転は停止してアイディアと云うか言葉が出てこなかった。
申し訳ない。
更に、このブログも支離滅裂ハチャメチャの乱文・・・・・
深く反省をして今朝に至っております。

コメント (7)
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江戸・戦国を 今に伝える 天来の里 

2008年09月14日 | 日記
9月13日(土) 曇り 雨粒が落ちる 午後 曇り 少しだけ青空

朝に庭を一回りしていると雨が落ちてきた。
今日は雨になって欲しくない。
朝飯を終えてから午後の『たてしな歴史研究会』の町外学習会があり隣町へでかけることになっている。
自家用車に分乗するため燃料費、見学先の入館料など新札を用意した。

午後1時に町公民館に集まり4台の車に分乗して15名で出発した。
現地で2名が参加することになっているので17名の行動となる。
初めに車を止めたのは『望月歴史民族資料館』ここから徒歩で近くの1766年に建築された真山家住宅「大和屋」を見学しました。
ここは現在でも住居として使用しているとのこと当主の老婦人に丁重に迎えていただきました。
http://www1.ocn.ne.jp/~oomi/sana.html
低い潜り戸を入ると中は暗く嘗ての問屋の板の間から座敷へと上がるとそこには代々守られてきた神棚がありました。
その歴史てき意味合いは深く重要文化財の重たさが感じられました。

奥座敷から一段下がった畳の間の鴨居には往時を偲ばせる弓と矢が置かれています。
防備の備えか破魔矢のなごりかは判りませんがむかぁ~しから有ったとのことです。

ここでは一人100円の入館料を支払い礼を述べて資料館へ向かいました。

望月歴史民族資料館は平成3年に開館され郷土の歴史と文化、中山道望月宿、人々の暮らしと伝統をテーマとしているとのことです。
一階は古代の様子、二階は江戸期と近代の生活を二部屋に分けて見せていました。
江戸期の宿場は交通の要衝として商業が活発に発展したことが展示されています。


ここからは再び車に分乗して旧中山道は道が狭いため車ではムリと旧142号線を走りトンネルの手前から瓜生坂に向かいます。
坂の頂上で車を降りて一同懐かしく昼なお暗い旧坂の昔道を覗き込んでいました。
会員の高齢化もこのような場所に来ると何故か若者のように元気になっているのです。


ここから望月城趾までは車に乗り一気に攻め込みました。
本廓までは綺麗に草が刈られ歩きやすくなっていました。
戦国時代の山城にしては大きな城ですが、松本城のような城郭はなかったと云われています。
ここでは竹花初雄先生の訥々とした時代に引き込まれる解説を聞き、一同城主の如く木々のあいだから遠くを眺めるのでした。

詳しく下記サイトをご覧ください。
http://www.zephyr.dti.ne.jp/~bushi/siseki/mochizuki.htm

城を跡にして多津衛民芸館に向かいますが、途中には城のお姫様が顔を洗ったと云われる湧水があります。
御姫水こと地元では“オシメミズ”となにやらチョット気になる発音です。
民芸館は下見に来たときには玄関前は満開のオミナエシに蝶が舞歓迎ぶるでしたが今日は静かに大勢を迎えてくれました。
館長の吉川さんには民具の暖かさを言葉に替えて造詣が深い解説をしていただきました。


一回りしてから館長自らお茶を入れていただき一同一服をさせていただきました。重厚なテーブルを前に当会の重鎮の方々は恰も民芸館の収蔵品如くなぜか落ち着いた雰囲気を醸し出すのでありました。


だいぶ予定の時間を超過して重い腰をあげ次の目的地『天来記念公園』に車を走らせました。
天来先生は近代書道の父と慕われ当地、望月の比田井地籍に明治5年に生まれました。
この公園は書の町のシンボル的な天来記念館と並ぶ天来先生と門弟たちの書を石碑に刻み集めたところです。
全ての石碑は中国から石刻家を招き建立したものです。
詳しくは下記サイトをご覧ください。
http://www.shodo.co.jp/tenrai/saku/saku00.html

ここでは会員Iさんからの立科産の巨峰を差し入れていただいたので一同石碑を横目で見ながら巨峰を口に運ぶのでした。
予定を大幅に超して先ずは全員集合で記念撮影となりました。


町公民館に戻ったのは暮れなずむ少し前、全員満足感溢れる一日のようでした。
今日のイベントに臨時で参加していただいたお二方も新規で会員に成っていただきました。
太古の歴史から現代にいたる名所旧跡をたづね誰一人歴史に埋没することなく全員無事に戻ってこられました。
費用は入館料合計一人550円+交通費4000円(4台@1000円)一人当たり235円でした。
全て会費から支払いましたので13350円の支出でした。経費も安くあがり定例学習会は大成功でしたネ
次回は11月の学習会となりますが・・・・
次なる企画 これまた楽しからずや
コメント (3)
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