田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

長野県福祉大会は58年も続いていた

2009年09月09日 | 日記
9月9日(水) 晴れ 雲は多く出ているが涼しい 一日

朝飯を終えてから社協へ向かった。
夕べも遅くまで社協で季刊誌の編集会議があったが12時間も経たないうちに再び同じ場所にいる。
今日は伊那市市民会館で行われる「第58回長野県社会福祉大会」に立科町の社協として参加することになっている。
総勢7名が車に乗り出かけたが、皆さん社協の理事や評議員の重要ポストに就いている人ばかり・・・・
車が走り出すと何故俺がこの場にいるのかと少々疑問すら感じならが1時間半のドライブの末伊那市へ到着。

先ずは腹ごしらえと町中へ車を止めて商店街へ繰り出すが、水曜日で客商売は休みとなっているのか軒並みにシャッターが降りている。
伊那に来たら“ソースかつ丼”だと云う。
俺はソースかつ丼の元祖は福井市のヨーロッパ軒だと思っていたが、信州・伊那が先だと主張する。
町中で人に聞きながら店を訪ねると喫茶店らしき作りで少々不安を感じたのだが・・・・
出てきたものは俺的に見れば乱暴なかつ丼だった。
肉の厚みで勝負をしているのはよいが、その肉質からみると口に運べるのは三分の一くらいだった。
あとの肉片は脂身の中に筋状に見える茶色の肉色のもの俺の胃袋に相談しても受け入れられないものだった。


再び車に乗り長野県社会福祉大会へと向かう。
会場は第3駐車場まで満杯の盛況、全市町村から福祉人間が集まっている。
佐久市や諏訪市などは大型の観光バスを仕立て、町村は小さなワンボクッスタイプの車に乗り合わせて参加している。
会場に入るとすぐに開会となり先ずは社会福祉に貢献した団体や個人の表彰があった。
立科町からもK氏が永年児童民生委員の表彰を受けた。


先進的活動で表彰された団体の中から実践発表が行われるのだが、まずは主催地伊那市の発表となった。
発表には福祉の催しだけあり手話通訳と文字表記をOHPを使い大きな文字を映し出していた。


伊那市は『「お互いさま」の地域づくりを目指して』と題した地域の活動が幾つも集まり全市をあげての活動に展開したことが発表された。
続いて、飯綱町では『認知症を地域で支える 飯綱町の取り組みから』となった。
町民が何をできるかから始まり自分ができることを人にしてあげる・・・・
その中でも住民自らが作り町の中に張り出したポスターが光っていた。
≪ボケたって いいやさ おれた いるわさ≫と地域の言葉を使った表現がよい。


休憩の後は堀田力氏の講演『住民のつながりで孤立を防ぐ』となった。
彼の阪神大震災での経験から、地震で倒壊した家屋の下から人を助け出すのは消防でも警察でもなく、自衛隊でもないと云う。
咄嗟の時に力を合わせてできるのは近くにいる住民のパワーだと云う。
普段の生活でも彼が東京で暮らし、外交官として外国で暮らしたときの近所の助けによって潤いのある生活ができたと云う。
しかし、東京では挨拶を交わすこともなく毎日が平然と過ぎてゆくと云う。
人が人を助け合いながらお互いさまの共助を第一として地域をはぐくんでいくことが自分を支えてくれるものと云う。


大会の最後はアピールを全員一致で読み上げ散会となった。
アピール
1「住民の孤立をなくす地域づくりを進めよう」
2「子どもたちが地域社会に参加する仕組み作りを進めよう」
3「地域住民と行政・関係団体が協働し、地域福祉の基盤づくりをすすめよう」

帰りは再び1時間半のドライブでふるさと立科へ戻りました。
コメント
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