昨日、アンパニウスを取り上げたので、ゲジゲジを取り上げた方がいいだろう。というのは物理学者の渡辺慧と武谷三男とは親友であったのだから。
ゲジゲジは何を隠そう、私が肩入れをしている武谷三男のあだ名だったらしい。これがどこからきたのかはっきりしないが、武谷の書いたエッセイの中につぎの話がある。
あるとき、つづり方教室の一つに武谷が呼ばれて、医学が進歩して、サルバルサン等で梅毒が直るようになったことと梅毒で頭がおかしくなって、幻想的な文学ができるのとどちらがいいのかという話をしたらしい。
このときに、そのつづり方教室に参加していた、ある女性が彼のことをゲジゲジみたいと評した。それを聞いた悪友たちが武谷のことをゲジゲジとあだ名したためかもしれない。
まことに武谷はこういう風に独自の意見の持ち主であって、それはなかなか本質を衝いてはいたのだが、その議論の仕方を好まなかった方がいたことは確かであろう。しかし、なかなかこういう意見は言えるものではない。彼の頭の鋭さが窺い知れるようである。
私の考えではもちろん医学の進歩で病気が直ることの方がいいので、直らないでいい文学ができたとしてもそれを医学の進歩が妨げたといって非難することは間違っている。
文学はそういう状況の変化を乗り越えてこその文学であろう。そうでなければ、文学など高が知れているといわれてもしかたがあるまい。もっとも文学がそんなにひ弱なものとは私は思っていない。
なお、昨日ゲジゲジをインターネットでちょっと調べたら、ゲジゲジは益虫であることとムカデに似ているが、ムカデとは種類が違うことが書いてあった。
見かけからはゲジゲジとムカデの区別は私にはつきそうにないが、インターネットでは益虫であるのでゲジゲジを殺さないようにとあった。
武谷がこのことを聞いたら、泉下で苦笑していることだろう。