物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

複号同順

2010-08-11 13:35:30 | 数学

e-learningのコンテンツの一つをある方に送ったら、「複合同順でなく複号同順でしょう」とご指摘を頂いた。まったくその通りである。

そのときに,、これを英語でどういうのだろうと気になった。ところが手元の本には複号同順という語が出てこない。

それで、ひょっとしたら辞書に出ているのではないかと思ったので、手元の広辞苑第五版を引いてみたが、出ていない。これは復号同順と書いて来られたので、いや複号ではないかというので調べたのでした。もちろん、この場合は複号ですが、違った意味で使われる復号という語もあります。

この前、本から情報がなかなか得られないということをこのブログで書いたら、N.N. さんからそういうときにはインターネットで調べるにかぎりますとのアドバイスを頂いていたので、複号同順を検索したら、double sign in same orderという言い方をすると出ていた。

複号同順ではなく、複号任意というのもあるという。これは英語ではどういうのだろうか。dobule sign in arbitrary orderとでもいうのだろうか。

視力の単位についてエッセイを書いている。数日前に分数視力(fractional vision acuity)の測定法について日本語で書いたものを探したが、よく分からなかった。

Cの形の視標の閉じていない、すなわち空いているところがどちらにあるか、その向きを当てるのだと思うが、右が空いていれば、to the rightとかいうとWEBにあったが、左が空いている場合はto the leftでいいのだろうか。

Snellen視標Cが上向きのときは、to the up(or to the above), 下向きのときはto the down(or to the below)とでもいうのだろうか。説明をしてくれるのなら完全に説明をしてほしいものだ。

どうしても日本語で説明がなければ、英語の説明を探すべきだろうが、英語だと読むのに苦労するので日本語の説明をまず探している。


cleverよりwiseを

2010-08-11 12:31:21 | 数学

「cleverよりwiseを」という、このブログを数学の分野に入れたのは意味がある。2009年の遠山啓生誕100年ということで、遠山の言行録の中に「cleverよりwiseを」という話がある。

いまの若い人には、これは遠山の言った印象的な言葉ととる向きもあるだろうが、私たちの年代だと「自然」という雑誌が中央公論社から出版されていたことを知っており、この「自然」に湯川秀樹の「物理学者群像」という物理学会かどこかでの講演記録が載ったことがあり、そこでは量子力学の創立者の一人である、M. Bornの回想を湯川が読んで話したのがあり、それがこのソースなのである。

日本でcleverよりwiseというのは湯川から来ている。もちろん、そのソースはBornである。こういうことはどうでもいいような気もするが、少なくともcleverよりwiseという感覚は湯川の講演記録を読んで以来私の体の中にもある。少なくとも遠山からは来ていない。大げさに言うと私の人格形成の一部となっているのである。

いや、こういったからと言って遠山を貶めることにはなるまい。遠山は1909年生まれだが、湯川は1907年の生まれであり、2歳しか違わない。それで、遠山もドイツ語を堪能に読むことができた世代である。だから、遠山は湯川とは独立にこのBornの回想録を読んだ可能性はある。遠山自身は湯川からこの「cleverよりwiseを」という考えを知ったという風ではあまりない。

もっとも湯川経由であったかもしれないが、私の思想の一部にも「cleverよりwiseを」という感覚が住み着くくらいだから、遠山にも影響を与えた可能性もまったく0ではない。

ここで、言いたいことは、ここでどちらかに軍杯を挙げるのではなく、そういう雰囲気とか思想を多くの科学者が、その当時の若者が湯川経由であったとしても、その他経由だったとしても、もったということである。そういう時代の雰囲気とか風とかを知ってほしいということである。

人格形成とはそう考えてみると興味深いものである。