数学者、遠山啓の哲学思想を論じたものをあまり読んだことはないが、昨年が遠山啓生誕100年だったので、雑誌「数学教室」で遠山を論じた連載が続いている。その中の一回に遠山の基本にした思想は唯物弁証法だったのではないかと書いたのを読んだことがある。
別にそのエッセイが間違っているとも思わなかったが、もう一つぴったりと来ないようにも思えた。昨夜、鶴見俊輔対談集「語りつぐ戦後史」上(講談社文庫、1975)を開けて遠山との対談を読んだ。
鶴見: 戦争が終わってすぐ、アメリカが持ち込んだのは、とても素朴な経験主義で、パターンの認識とか型の問題を入れないで、もので教えるという、そういうものでしたね。それが小学校の教育まで低く平均化していくという役割を果たしたと思うのですが、そういうものから、だんだんひきもどしていこうという努力をされたときに、たとえばマルクス主義という思想の方向として、どういうふうに、いつごろから接近されたんですか。毛沢東などを読んでおられましたね。
遠山: そういう意味では、私は毛沢東の影響はあまりうけなかったですね。
鶴見: そうですか。弁証法ということをとても考えておられたんじゃなかったですか?
遠山: 考えたといえばそうですが、けっきょくわかんなかったと言った方がいいですかな。まあ、量と質という問題は数学教育にも大変関係があるので、ただこの量と質の、両方の転化ということが忘れられているのではないかということですね。自然科学の場合は、質から量への転化ということを考えないと、学問そのものの発展というのが把握できなくなるのじゃないですか。一方からの転化だけでは、不十分だという気がするのです。
とあった。ドグマを100%は信用しないとも言われている。ここらあたりが遠山さんらしいところかもしれない。