妻の知人のFさんの息子さんが亡くなったのはまだそんなに前のことではないらしい。
彼の蔵書の中に広辞苑の第六版があった。それは私の家に残されたが、その他の蔵書は先日の8月15日に近くのbook offへもって行って引き取ってもらった。その売値は5000円とちょっとであった。そしてその売り上げは妻の所属する歌声グループの資金として積み立てられた。
ところで、少しカバーが日焼けをしているものは引き取ってもらえなかった。もって帰るのも嫌だったので、ほんのごく一部を除いて処分をしてもらうことにしたが、ひょっとしたら処分すると称してbook offがどこかで売り払うのかもしれない。それはしかしどうでもいいことだが、かなり厳密に引き取るものと引き取らないものとの区分けがされていることを知った。
多分Fさんの息子さんが書籍に投じた費用はかなりのものであったろう。だが、実際に古本として売るときにはそれは数千円にしかならなかった。そんなものなのであろう。
私が自分の蔵書の一部を売り払ったときにもその代価は1万数千円であったが、多分それに投じた費用は10万円のオーダーであったろう。それでも、古本として買われて誰かにまた読んでもらえるのならまだ浮かばれる。ゴミとして出されるのならもっと悲しい。
話はまったく違うが、私の書いた「数学散歩」(国土社)がインターネットて5、000円の値段がついていたのを昨日見た。妻に今朝言ったら、意外な顔をしていた。もともと定価が2、650円(税込み)であるが、もう書店在庫がなくなっている。著者の私が数十冊はもっているが、それにしてももうほとんど残部はない。
これは300冊くらいは売れたが、後は私から友人や知人に進呈をしたものである。もともと500冊くらい出版したのだが、第2刷を出せるかどうかは出版社の決定にかかっている。しかし、第2刷がでなかったとしてもこれはこの本が価値がないことを意味しない。
価値があるかどうかは本が提供しているような知識を求めているかいないかで違ってくるからである。著者としてはもっとこの本で示したような知識が普及すべきだと思っている。