吉本隆明氏に対する先入観としてひずんだものをもっている。これは私が吉本氏の著作を読んでもった感覚ではないので、もちろん吉本氏の責任がないことは間違いがない。
吉本氏に責任がないことをWEB上で書くことは無責任この上もないのだが、吉本氏の著作をほとんど読んだことがない者が勝手に抱いたイメ-ジであるのだから、それをあまりまじめに取ってもらっては困る。むしろ、なぜそういう風な先入観をもったのかという事例研究に役立ててほしいというのが本音である。
その先入観もいまではどういうものだったかよく分からない。おぼろげながら、どうも政治的に過激な考えの持ち主であるという風な先入観をもっていたらしい。それが本当なのかまったく間違っているのかさえも私は知らないし、いま知ろうとも思っていない。
鶴見俊輔さんは吉本さんを「過激派の跳ね上がり」とも言っていないようだし、だから私の先入観はまったく根拠がないのである。いつだったかNHKのテレビで「吉本隆明、思想を語る(?題を忘れた)」を見たときにそれほど異端の人ではないということが、感じられて少し理由なき先入観が修正された。
いや、異端の人だったとしても別にかまわないのだが、私の世界観からいって違和感を感じるということはなかった。
テレビの番組を見る前だったか後だったかは忘れたが、遠山啓のエッセイの「文化としての数学」の新版に吉本氏の遠山さんについての敗戦直後の思い出を中心とした回想がつけられたので、それを読んだ。
そして、その中に「遠山さんは自分(吉本氏)を人間として救ってくれた」とあった。遠山さんに対する人間としての信頼を表明したもので、心温まるものであった。こういう文章を書く人に悪い人はいないのではないかとまで思うようになった。
ごく最近だが、筒井康隆氏が朝日新聞日曜日の読書欄で「漂流」という連載を書いていて、最近その連載が完結したが、筒井康隆氏は何かで吉本さんがお嬢さんを抱っこしている写真をみて、これは本物だと思ったとか書いていた。この感覚は十分にはわからないが、少なくとも筒井さんを感激させる何かを吉本さんがもっていたことは確かだろう。