昨年の10月に出身の I 市で高校の同期会があったが、来年は松山市でこの同期会が計画されている。7月だったかK君から電話があって、世話人の一人として働いてくれないかとかいうことであった。先回のときには私は家族の問題でなにもしなかったが、今度はそうも行くまいと思ったので、「いいよ」と答えた。
来年の話だが、今年の10月に同期の者がゴルフコンペを松山でやるから、その前夜祭に来年の相談のために来なさいという。私はゴルフはまったくやらないのだが、前夜祭には行かなくてはならないだろう。
先回の会のときに、会の前に二人の人に声をかけられた。一人は女性で彼女の母と私の母とが女学校時代の同級生であったので、親しくしていた。お互いに自分たちの母をすでに亡くしているが、そういういきさつで話をした。知らない人が見たら、昔の恋人同士かと思ったかもしれないが、そうではない。だが、母から彼女のお母さんのことも少しは聞いていたので、そういう話も出た。会場だったホテルに一泊した後に少し遅い朝食にレストランに行ったら、そのTさんと彼女と同室だったWさんとが並んで朝食を食べようとしていたが、そちらに呼ばれたので二人の前で朝食をとったが、Wさんは私とTさんの母同士が同期生だとは知らなかったので、説明をしたら、なるほどと納得した顔をされた。
もう一人久しぶりに会ったのは中学時代から親しくしていたS君であった。よく夏休みとかにクラブ活動をしている生徒以外には誰もいない中学校に行って、校舎の陰で相撲をとった。彼は相撲が大好きで特に大関の吉葉山のファンであった。吉葉山といってももう知っている人も少なくなっているだろう。一度全勝優勝して横綱にはなったが、怪我等で横綱としては一度も優勝できず引退した悲運の横綱であった。S君は自分のお母さんが100歳を越えてそのときは存命だった。そのお世話でときどき帰郷しているとのことだった。
この二人に会ったので、この年の同期会は私の気持ちとしては成功だったが、いつも毎回同期会に出てかつての同期生と話が合うのかなといつも不安な心理を抱えている。昨年の同期会の後でも、ブログにそういうことを書いたが、同じ同期のY君は別に話があわなくてもいいではないかといい、明解であった。
秀才の誉れが高かったK君とも少し話ができた。K君はいつ会っても構えたところがない。あれはやはり生まれつきのいい性質なのだろう。彼は私といわば同業者である。