学生のとき以外に大学でフランス人の先生の講義を受けたことは3学期しかない。その2回目の機会は女性の先生だった。お名前を失念してしまった。申し訳ない。この先生はテキストを使っていなかった。先生にもちろん許可を得ての途中受講であった。
大学の2年生だったかの講義だったと思う。小さなセミナー室での講義であったが、先生がいろいろ言われるのを、ときどきみんなが困ったときに先生の言いたいことを簡潔に学生に伝えたりした。試験もあったが、試験自身は難しくなかったと思うが、私は答えなければならないところの半分しか答えると思っていなかったので、よくできたはずがないが、つぎの学期にその講義に出席できなかったので、その先生に出会ったときに「よくできるのに残念」と言われた。
これはもちろん外交的辞令であろうが、少しは先生の言わんとしたことをわかっていると思われたのであろう。私たちのドイツ語の先生でもある、R氏なども言うことだが、学生以外の年長者が講義に聞きに来ていると、クラスが活気づき、授業をするのがやりやすくなるらしい。
それは外国語を学んでいる、年季の入れ方が違うのだから、仕方がないが、ある程度言葉を理解する者がいるといないでは授業の活性度が違ってくる。
もっとも言葉だけではなくて、その考え方を学ぶということが大事だと思う。しかし、これはある程度しか達成できないことで、やはり生まれたときからその国に住んでいるわけでないから、感性はやはり日本人そのものである。そこらへんがホームステイで外国のゲストを受け入れたときに彼らが感じたイライラの原因だったと後で反省したものである。
もっとも日本人としての文化とか感性とかはまったく捨てる必要はないのである。これは外国に長年生活している日本人がいつも言うことである。
このこととは直接関係がないが、フランス語で下のような言い方があるそうだ。
Parce que la vie, c'est comme ca ! (なぜなら人生って、こうしたものだから!)