岩波書店のPR誌「図書」の8月号に細川哲士さんの「王と農夫」というエッセイがあり、おもしろかった。
その話のキーは帽子である。
アンリ4世があるとき、農夫にあった。その農夫はどうやって王様を見分けたらいいのかと王様に尋ねた。すると王様は取り巻きが帽子を脱いだときにそのままでいるのが王様だよと答えて、臣下のところへ帰ると一同が脱帽する。それで農夫が叫ぶ。王様はあんたか私だ。帽子をかぶっているのは私とあんたの二人しかいないから。
これは笑い話であるから、そういうことは実際には起こらない。ところで話はこの冒頭の笑い話をしたいためではない。
西ヨーロッパでは帽子をかぶることがかつて一般化していたという話なのである。ブリューゲルの絵に出てくる人は首を切られた罪人とかを除いて、みんな帽子をかぶっているという。
それであわてて、私のもっている、ブリューゲルの「狩人の帰宅」という絵の複製を見に行ったら、やはりみんな帽子をかぶっている。
「狩人の帰宅」では、帰って来た狩人はもちろん帽子をかぶっており、近くの池の上に張った氷の上で遊んでいる、子どもとか大人を見たら、これは絵の人物が小さくて判別がし難いが、帽子をかぶっているか、コートのフードをかぶっているらしい。
この「狩人の帰宅」は絵の裏に英語でhunters in the snow と題がついているが、ドイツ語ではHeimkehr von J"ager(狩人の帰宅)とかいう題がついていたと思う。
それはともかくとして、乞食ですら帽子をかぶっているという、観察をエッセイの著者の細川さんはしている。それも特別の帽子だそうである。
それでその帽子をどうやって手に入れるのかと細川さんの考えは進んで行く。そして、乞食には公認の、言い換えれば、堂々とした公認の乞食と非公認の乞食とがあるという。
公認の乞食は帰る家のある乞食であり、非公認の乞食は帰る家のない乞食であるとか。
現在では乞食は住所不定という概念が一般的になり、SDF=sans domicile fixe(サン ドミシール フィクセ:決まった住居のない)といわれるようになったという。
このブログは細川さんのエッセイの要約ではまったくないので、そのエッセイの雰囲気の何分の一かでも伝えられればいい。詳しくは細川さんのエッセイを読んでください。もっとおもしろいことがたくさん書いてある。