物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

私のフランス語修業18

2012-08-17 13:12:01 | 外国語

私のフランス語修業も今回で18回目となった。不定期に書いているので、最近はいつ書いたのか覚えていない。

今回はちょっと変ったことを書く。とはいっても大して変ったことではないが。今日、NHKのラジオフランス語のアンコール放送を聞いていた。パトリスと国枝先生担当講座である。いつものことでブログを書きながら、聞いていた。

ブログを書き終わったので、あわててテキストを開いてみたら、あまり聞きなれない(見慣れない)言葉を見つけた。それはpendaison de cremaill'ere(パンデェゾン デュ クレマイェール)であった。

テキストの訳だと全体で「新居のお祝い」とあった。ところでpendaisonがどういう意味であり、cremaill'ereがどういう意味か書いてなかった。

大体私は外国語の単語の意味を調べるのに辞書を引くのが嫌いである。最近は年をとってきたせいか以前よりは少し辞書を引く機会が増えてきてはいるが、それにしてもものぐさな方である。

ところが、なぜかこのときはそれぞれの言葉の意味を調べてみたくなった。それはcremaill'ereが火葬とか何かに関係した語ではないかと連想したからである。

これはもう約50年も昔の大学院の学生だったころ、広島に滞在していたイタリア人の開いたイタリア語講座に半年ほど通ったことがあって、そのときにcremareとかなんとかいうイタリア語が火葬するとかいう意味だったことをかすかに思い出したからである。

これはローマ人が軍人として外国に派遣されて闘って戦死したとき、楯の上に載せてその火葬遺体が帰って来るという話を講師のリビオ・アレッシ氏が手のひらの上に棺をおいたジェスチャーをしたのを覚えている。

フランス語はイタリア語と同じラテン系の言語である。だから私の連想はそんなに突飛ではない。実際に辞書でcremaill'ere(クレマイエール)の下にcr'ematoire(火葬の、クレマトワール)とかcr'emation(火葬、クレマシーオン)という語が出ている。

ところで問題のcremaill'ereは「(暖炉の中にかけてなべなどをつるす)自在鉤(かぎ)」だとあった。他の意味もあるが、本来の意味はやはり火と関係があるのだろう。

さて、ではもう一つのpedaison(パンデゾン)の方である。日本語でもペンデンダントという語が使われるから、垂れ下がっているものをイメージしそうである。それでずばりpedaisonの意味は絞首刑とか首つり自殺の意味である。

道理でpendaisonの単独の意味が出ていないはずだ。しかし、pendaison de cremaill'ere全体では絞首刑も自在鉤も関係なく、新居のお祝いという意味で普通に使われているらしい。やれやれ。

つるすという動詞はpendre(パーンドル)という。une pendule(ユンヌ パンデュール)は振り子時計の意味である。

地球の自転を実験室内で実証したことで、有名なフーコーの振り子などもFoucault pendulumと英語でいう。ちなみにフーコー振り子は上野の科学技術博物館の玄関のところで動いている。フーコーの振り子を見たい人はぜひ上野へ行って見て下さい。


消費税増税

2012-08-17 11:11:30 | 社会・経済

先日、国会で消費税の税率引き上げ法案が通った。一つには国の財政予算の半分くらいは国債の発行でまかなっているという現実を見れば、仕方がないのかなと思う。

しかし、現実の自分の生活をみるといまから年間約30万円の消費税を余分に納めなければならないとすれば、いまでも我が家の家計は火の車で年間50万円くらいの赤字が出るのにどうやって生活をして行くのだとは偽らざる実感である。

妻などは民主党が自民党と公明党と組んで消費税の増税したことに対して怒り心頭である。しかし、そうは言っても妻は年金の振り込まれる口座からカードで勝手に生活費を引き出しており、その残高がだんだん減っていくのを気にしている様子もない。

だが、私などは小さくなってどうやって自分のポケットマネーをひねり出すかに、苦心をしている。だから、妻が怒る割には、彼女自身は被害を受けておらず、本当のとばっちりを受けているのは私である。

いつだったか、年間70万か100万円の赤字だとこのブログで書いたところ、東京に住んでいる、子どもたちがびっくりして、大いに問題となったことがある。自分たちが赤字を補填しなくてはならないといけないのかと思ったらしい。

勤めていたときの収入が、勤めを辞めると約1/3になったのだから、定年後の数年はしかたがない。でも現在はもう定年後7年を経過している。それでしかたなく自衛のために、いくつか入っていた学会はたった一つだけを除いて全部辞めた。

購読していた、学術雑誌はだんだん廃刊されていくので、来年からは学術雑誌の購読料を払わなくてもよくなる。一つだけまだ入っている学会の会費も割引料金を何年か前に申請した。

そうやってもなかなか生活費は少なくならない。いや少なくすることには成功しているのだが、やはり病院に行ったりすることが増えてきているからだろう。それでも現在は医療費の負担は1~2割で、支払いは少ない方である。

もうこの年になると、どこかで働こうにも雇ってくれるところはなさそうである。数年前に訳した本の印税は本が売れているのかどうか、払ってもらったのは上巻分が一度だけである。額面は全体では確か40万円足らず支払いであったが、税金を支払いの際に差し引かれているから、3人で分けたら、7~8万円くらいの手取りであった。

下巻の分ももう発行されてからも5~6年になるが音沙汰がない。もっともこちらとしてもあまり印税の支払いはどうなったなどと催促したりするのは好きな方ではない。

それにしても世の中の人はどうやって生活をして行くのだろうか。これは現役で働いている人を除いての話であるが、現役の人にも苦しい人が当然いよう。

富裕税を設けたらなどともいうが、そういう話はなかなか起こらないし、第一そういう富裕な人はあまり税金を納めなくてもいいように税金の安い国に住むことができたりする。企業に高い税金をかけようにも企業は税金が高いと国外に主体を移すという。一体どうしたらいいのか。

などと書いたが、古代のエジプトで幾何学の起源は徴税のためだという内容の、数学・物理通信への投稿原稿を最近受け取ったから、昔から税金をどう徴収するかは問題であったらしい。時代が変わってもなかなか変らない世の中であることよ。