NHKの「100分で名著」でピ-ター・フランクルの「夜と霧」を取り上げていた。フランクルは精神医学者だったと思うが、ユダヤ人で強制収容所の生き残りである。
その第2部の放送を私は見たのだが、「人が人生の意義を見出すのではなく、人生の方がその人を待っている」というようなことを言って、同じ強制収容所にいた、二人の人が絶望の縁にいて自殺を考えていたのを救ったという。
ところが、私には人生の方がお前を待っていると言われてもそれが何を意味するかわからない。お前のやりたいことでし残したことがあるだろうとか、生き延びたら、お前の家族がどこかで待っているだろうというのなら、わからないでもないのだが、「人生がお前を待っている」とはどういうことなのか。
番組ではそういう突っ込みを入れる人がいなかったが、知りたいところであった。あまりに衒学的なものいいではないのか。どうも私はピーター・フランクルにつっかかるようなところがある。
フランクルの「夜と霧」で人間というものの奥深さを見せられたのは、収容所でパンが足りないときに自分の分を分け与える人がいたということをフランクルが書いているのを読んで、人間はぎりぎりのときにでも人のために尽くす人が存在するのだというのを読んだときである。
そういう崇高な感覚は残念ながら、私にはもてそうにない。
いつだったかこのブログでもフランクルに突っかかるような記述をした覚えがある。はしたないこととは思うが、私にはそういうところがあり、大人になれない。
人生の意義を見つけることなどできはしない。そういうものは人生を何年生きていてもわかるものではない。そう考えている。だが、自分のしておきたいことはある。それをこれからの人生である程度でもすることができるかどうかわからないけれども。