物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

双海へ行く

2012-08-27 13:02:26 | 日記・エッセイ・コラム

土曜日の夜遅くに妻が東京から帰ってきて、私もようやく徳島科学史研究会の例会を終えてほっとしたのが、昨日の日曜日であった。朝早く目が覚めたので、お昼を食べた後で2時間くらい昼寝をしてしまった。

16時ごろになって妻にドライブに行かないかと言ったら、どこに行こうかというので双海の海浜パークに出かけた。昼間は夏休み最後の日曜であったために、たくさんの海水浴客が訪れたと思われたが、私たちが到着したときにはもうそれほどの人でもなかった。

そこのレストランで簡単な少し早めの夕食をとり、その2階のレスラトンから海を眺めた。松山の方の海を見たら、風があったために、空気が澄んで見えて、島がたくさん重なってあることに気がついた。

前に行ったことがある、二神島はブラジャーをひっくり返したように見えるのだと二神島の住民の知人が教えてくれたと妻が言っていた。

二神島は愛媛県だが、もうここは広島県境にとても近い。この島の古文書を調べて、研究をしたのはあの有名な歴史家の網野善彦さんであった。夏休みになると網野さんはこの島に来て民宿に泊まり、古文書を調べ、わかったことを夏休みの終わりにこの島の住民を集めた会で話をしてくれたのだという。

そういうことで、その知人は網野さんをとても尊敬していた。これは自分の研究の成果をそのお世話になった島の住民に直ぐにお返しに話をするという、その姿勢に強く打たれたのだと思う。

米の収穫高を基準にして決められる、その当時の島の租税はあまり多くはなかったが、海産物の収入等で島はかなり裕福だったらしいと古文書からわかったというようなことを話してくれたらしい。

若いときの公式マルクス主義的な日本史研究を恥じて、その後は歴史そのものに虚心坦懐に聞くという風な、歴史研究をされた網野さんの日本史研究は今では高く評価されている。

思わぬ風に話がそれてしまったが、帰りは妻のお好みのスポット、伊予灘サービスエリアに立ち寄り、ソフトクリームを食べながら、瀬戸内の島に沈む、日の入りをながめ、松山市の市街の明かりがぽつぽつと目につくようになっていくのをながめた後、帰途についた。