物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ドライバーのマナー

2013-11-11 12:59:28 | 日記・エッセイ・コラム

日曜を除いた毎日仕事場へ車で来る。そのときに気づいたドライバーのマナーである。

大抵の人は車の車線変更のときにはたとえば、右の車線に変更したいならば、右側のウィンカーを出す。

ところがこのときにウィンカーを出さない人が結構多い。私が右の車線を走っていて、左車線の車が右にラインに近づいた来たときは(それもウィンカーを出さないで)この人は右の車線に変更したいのだろうとこちらが推量して少しスピードを落とさないといけない。そうでないと衝突を起こしてしまう。

私は自動車学校で運転を学んでいたときに、ウィンカーを出さないで車線変更しようとして厳しく教官から注意された。「もし君がウィンカー出さないと、後ろからくる右車線の車は君が車線変更したいかどうかわからないよ」と。

ところが私の見る限りでは30%から場合によっては40%の車が車線変更のウィンカーを出さない。これはそれほど多くの人がウィンカーを出さないからと言っても私がまたはあなたがウィンカーを出さなくてもいいというのではない。

先日はタクシーでさえも車線変更のウィンカーを出さないで車線変更をしているのを見かけた。それも1回や2回ではない。

人間だからウィンカーを出し忘れることもあるのかもしれないが、それにしては自動車学校の教育がどうなっているんだろうかと心配になってしまう。

それに少し人の車の前に割り込むのだから最低のマナーとして「ウィンカーぐらいは出せよ」と腹立たしいことが多いが、あまりかっかとはしない、性質だからいままでのところは大きな事故にはあっていない。

信号のない交差点で待っていて、少し遠くから来る車が直進すると思って待っていると交差点のごく近くになって私の方へ曲がりたいとのウィンカーを出したりする。もちろん自分のことだけを考えたらそれでもいいのだが、交差点で直進優先ということで待っている車のことを考えたら、自分が直進をしないことを前もって知らせるウィンカーをだすべきであろう。

自動車学校では自分がブレーキを踏むときでも、一度軽く踏んでブレーキランプを灯らせて、後続の車に予告してから、つぎに深くブレーキを踏むべきだと教わった。そうしないと後続車に追突される危険性があると。

これを実行している車も多いが、そうではない車もあるが、これは前方をよく見ることと車間距離を十分とることである程度対処できる。


特定秘密保護法案

2013-11-11 12:28:42 | 国際・政治

特定秘密保護法案の国会審議が数日前にはじまった。

ところが朝日新聞ではこの法案に反対の社説が出たり、記事がでているが、全体的にはその反対の世論が強くはない。しかしこの法案は危ない。

確かに、私たちはテロにも加担しないし、あまり外交にも防衛にも関係しない。それでどうも私たちとまったく関係のないことだと考えがちである。

ところが秘密の範囲の指定とかはあまりはっきりしない。これは国会審議においても国会での質問に答える答えも抽象的であることが報道されている。

それが実際にそれがいったん国会の審議で法案が成立したとなるとなんでも特定の秘密に該当するという恐れは十分にある。

だって、明確に議員の質問に答えられないくらいだが、ときの政権として国民に隠しておきたい自分にとって都合の悪いことはなんでも秘密となる可能性が十分にあるから。

担当大臣とか自民党の議員とかからいろいろ北朝鮮による拉致情報なども秘密事項にあたるとか、TPPの事項は秘密になるとかいう発言がすでに出てきたりしている。

こういう風であれば、拡張解釈されてなんでも秘密とされる恐れがある。そして、その国民に隠された交渉事とかがその当面のみならず、永久に秘密にされてしまう可能性がある。そしてその真実を取材した、マスコミの記者が罪に問われることは起こりうる。

だが、本当には何が国民の利益かは国家が決めることではない。だが、そういうことが極めて起こりそうである。外交上すべてをその場で公表することはできないかもしれないが、それは未来永劫ではないし、自ずから限界をもっているはずである。

だが、その限界を自らが設定する権限をもっており、それを明らかにしないということであれば自ずから行く先は決まっている。恐ろしい社会となり、言論が制限されることになろう。

国旗国歌法が制定されたときにはこれを国歌や国旗を忌避したいと思っている人の内心の自由までも束縛するものではないとの国会で政府の答弁があったと思う。

現在では学校の卒業式等で君が代を実際に歌っているかどうかを教師の口元を、教頭に確認させるとかまで言われている。そして、本気で歌っていないならば、懲戒処罰の対象にするという話までになっている。

私自身はあまり君が代とか国旗にそれほどアレルギーのない方だが、それでも他人のそれを厭う人の気持ちを尊重したいと思っている。国歌や国旗を厭う人にはそれなりの理由がある。

なんでも世の中では連続的につながっており、なかなかここで突然断絶的に変化したと捉えることが難しい。それが恐ろしい。

もっとも私などは年だから、この特定秘密保護法案に影響されることはあまりないであろう。だが、後世のことを思えば、とても大きな過ちを国家と政府が犯したことになると思う。

安倍政権のまたは自民党の新自由主義政策の危うさがまずこういう形で出てきた。それは前の衆議院選挙と参議院選挙の国民の選択の誤りを示してる。