最近、阪神阪急ホテルの食材偽装事件から発展してデパートの高島屋のように至るところで食材偽装が行われていたということでいかに利潤追求の要求が強いかを知らされた。
どの企業も偽装までの悪意はなかったというが、その自分たちの不正直さをもうどうもとも思わなかったという点で一致している。
何事も小さなことからはじまる。それもはじめ阪急阪神ホテルから始まった話だが、これほど普遍的に広がっているのなら、日本全体で何を信じていいのかわからない。
そういえば、原発安全神話などというものとか原発の廃棄物をどうするのかなどということは小泉元首相が言うまでもなく、そんなことを信じる方がどうかしているのである。
理性的に言えば、これはもうどうしようもないものであり、原発の廃棄物の処理を合理的に利潤の範囲内で処理できることについては将来的な展望はまったくない。
学問的にはこう言い切っていいと思う。だが、当面の利潤追求のためには将来どうなろうとも知らないという姿勢が電力会社だけではなく、政府にも自民党にも見られる。
原発を止めるという決断はもちろん軽いものではないが、それでも原発に将来はないことだけは言える。早く止めることだけが現時点では最良の解決法である。
もちろん、科学とか技術の発展は予想ができないが、現在の時点での確たる展望なしに政策が国として認められているか、黙認されていることがまったくおかしい。
(注) 原発や食材偽装での利潤の追求についておかしいと述べたが、これは利潤追求が単純に悪いととられたら、それは心外なのでちょっと説明をしておく。上で述べたことは正しい対価としての利潤追求を否定をしていない。
ところが人を欺いての利潤追求は正しい対価としての利潤追求と考えることはできない。原発の問題でもしかりである。原発の廃棄物までの処理の費用を考えての利潤追求ではない。
もし、それまでを真剣に考えるならば、日本国内に53基とか54基とかいう数の原発ができるはずがない。なぜなら将来の費用までも真剣に考慮すれば、とても利潤が挙げられそうにはない。
たとえ利潤があげられたにせよ、人類の将来の存続を危うくすることが現在の段階では容易に判断ができるからである。