物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

気功で病気をなおせるか

2013-11-30 13:39:54 | 健康・病気

最近聞いた本当にあった話である。

その人は輸血をして肝炎にかかった。よくはこの肝炎の種類を知らないが、C型肝炎というのであろうか。

ところが昔だったのであまりはかばかしい医療法がその当時なかったために、民間療法としての気功療法にたよったらしい。

気功の専門家がその人の体に向けて手のひらを広げて気を送り、その人の肝炎を治すという動作をくりかえす。

その治療を施してもらってもなかなかはかばかしく肝炎がなおったわけではなかった。あるとき治療にいったとき、その人の体ではなく、人形のようなものに同じ動作をくりかえされたという。

そして、これでも同じようにきくはずだといわれた。その人はさすがに心配になって、輸血で肝炎になったのだから、医療でそのころはじまった、インターフェロンによる治療に切り替えたいと申し出た。

そしたら、気功治療の専門家はとても怒ってしまったが、それがその気功治療者との別れになった。

その後、病院でインターフェロンの治療を受けてその人の肝炎は完治して今も元気でいる。

気功の治療者の手の指から何かの気が出て、少しは肝炎がよくなったかどうかは聞き損ねたが、気休めぐらいであったろう。

気持ちからくる病気も全くないわけではないから、治ったという症例はあるのかもしれないが、治った症例が少数あってもそれでは医学としては十分ではなかろう。

100%完治するなどということはなくてもある割合で病気が治癒しないことにはその治療法を信用はできない。

話をしてくれた、その人も治癒する可能性は30%ということだったらしいが、幸いなことにその30%の中に入った。


あるエピソード

2013-11-30 13:19:15 | 科学・技術

これは武谷三男著「物理学入門」上(岩波新書)に出ているエピソードである。

(引用はじめ)あるはなはだすぐれた、しかも唯物論の立場に立っているという若い哲学者を私は知っている。この人はアメリカのコロンビア大学の哲学科を卒業した人で、デューイなどのプラグマチティズム(実際主義)の研究者であるが、この人が観音教にとっつかまったのである。もっとも唯物論者というのであるから、宗教としての観音教を認めるわけではない。ただ観音教のやり方に従うと病気がなおるということを信じるだけである。

特にデキモノにきくというのであるが、それはどういうことをするかというと、デキモノに直接さわらずに、離れた所で、手の平でさするような仕草をくりかえすのである。私はこんなことでデキモノがなおるはずがないではないかといろいろ議論をはじめると、この哲学者は、「私はプラグマティストだから、とにかくなおればよいのです」といって議論を打ち切ってしまった。ところで、しばらくして、この人にデキモノができ、医者にかからずに、観音教のプラグマチティズムにのみたよっていたところ、ついにひどいことになり敗血症になったので、あわてて医者にかかりペニシリンを注射して命びろいをした。それ以来この人は観音教をすててしまった。(引用終わり)

こんなエピソードを思い出したのは実はそれに類するような話を最近聞いたからである。ちなみにこの哲学者は鶴見和子さんであることが武谷のその後の著書からわかっている。

武谷の「物理学入門」上は絶版になってしまって、岩波新書としては出版されていないが、季節社から再刊されている。また、岩波新書の下巻はついに出版されなかった。

この書の最初に「科学とはどんなものか」という章があり、実はこの章は科学の認識というものについて難しい哲学ではない、読みやすい書としてとして書かれたものであり、いまでもこの種の本を私は読んだことがない。

一時、新々宗教でのまやかしの認識が問題になったことがある。たとえば、オウム真理教等で科学とか技術を大学で学んだ多くの学生が信者として取り込まれたが、彼らがこの書を読んでいたならばと思わずにはいられなかった。

科学における認識というものについてきちんとした議論を私たち科学を専門にしている者もあまりきちんと学んだことがないというのが、現状であろう。その手引きとしてこの書の「科学とはどんなものか」の章はいまでも読むに値する。