佐々木亨さんという技術教育に専心されていたと思われる方の「技術論争と技術教育」という論文をインターネットで読んだ。
この論文ではじめて技術論争の要点がわかったような気がした。中村静治さんの『技術論論争史』という本はあるのだが、これは大部な本でなかなか読めない。それでこの佐々木さんの論文はこの論争の要点を押さえたものとしてすぐれている。
この論文を読んで3つの問題点があることがわかった。
一つはこの論文のはじめの方で山脇与平氏の問題点の指摘である。
(前略)笹川義三郎氏の「技術・労働過程・生産関係」という論文によって労働手段体系説と意識的適用説との論争は「事実上終了した」という中村静治氏の指摘に注目しながら、「しかし技術評論の面では、この敗北した適用説の技術の論理に立つ技術評論の方が、むしろ横行し一般うけし、まじめな技術者や技術教育担当者にもうけとめられているところに、みすごしにできない大きな問題がある」と書いたのは、74年12月であった。(中略)
つぎは以下のような指摘である。
(前略)意識的適用説においては、技術との対比においては技能が軽視されるのである。それはしばしば「技能ではなく技術を」というかたちで現れる。技術を重視することが同時に技能を軽視することとだき合わせになっているのである。さらにいえば、技能を軽視することによって技術論が構築されているのである。われわれの観点からすれば、いくら技術学を重視するとはいっても全く技能に関する学習のない技術教育などありえないのだが、意識的適用論者にかかると、技能を嫌うあまり、技能を教授している場面でさえも、これは技術の教授だと強弁することになり、その意識のなかから技能の教授が追放されてしまうのである。(中略)
最後はちょっと判断が早まり過ぎではないかと思うが、つぎのような点である。
(前略)ところでその後、事情は急速に変わっていった。意識的適用説のチャンピオンであるかの如くであった星野芳郎氏が『マイ・カー』を書いて「高度成長」を謳歌し、やがて反共主義者に転落にするに及んで、意識的適用説に対するある種の信頼感が急速にくずれていったこともそのひとつである。(後略)
以上で論争の主要な点が触れられていると思うが、この三つの点が実際にどうであるかを調べて見なければならないだろう。
特に問題なのは意識的適用説が本質的に技能を軽視するものであるかどうかであろう。説を主張する人もその説のためだけではなく、その人の本来の性質から逃れることはできないものだという気がする。
そうだとすれば、そういう制約から逃れられているのかどうかが説自身の成否以外に問題にされなくてはならないだろう。
これは私のたんなる考えたところであるから、まだ考えのたらないところもあろう。
少なくとも佐々木氏の論文から伺えたことは意識的適用説を唱えていた人で技術教育に携わっていた人の多くが適用説から体系説に自分の意見を変えたらしいということがわかった。そしてそれが佐々木氏の言う通りであるかどうかを実際に調べて見る必要があろう。
武谷氏とか星野氏とはある限れた人たちとの接触を除けば、技術教育からは遠かったとは言えると思うので、技能軽視の傾向はあったかもしれない。(武谷氏は看護師さんのグループと接触があったことは知られている。看護師にはある種の技術専門家として、看護技術が必要とされる)
この論文ではじめて技術論争の要点がわかったような気がした。中村静治さんの『技術論論争史』という本はあるのだが、これは大部な本でなかなか読めない。それでこの佐々木さんの論文はこの論争の要点を押さえたものとしてすぐれている。
この論文を読んで3つの問題点があることがわかった。
一つはこの論文のはじめの方で山脇与平氏の問題点の指摘である。
(前略)笹川義三郎氏の「技術・労働過程・生産関係」という論文によって労働手段体系説と意識的適用説との論争は「事実上終了した」という中村静治氏の指摘に注目しながら、「しかし技術評論の面では、この敗北した適用説の技術の論理に立つ技術評論の方が、むしろ横行し一般うけし、まじめな技術者や技術教育担当者にもうけとめられているところに、みすごしにできない大きな問題がある」と書いたのは、74年12月であった。(中略)
つぎは以下のような指摘である。
(前略)意識的適用説においては、技術との対比においては技能が軽視されるのである。それはしばしば「技能ではなく技術を」というかたちで現れる。技術を重視することが同時に技能を軽視することとだき合わせになっているのである。さらにいえば、技能を軽視することによって技術論が構築されているのである。われわれの観点からすれば、いくら技術学を重視するとはいっても全く技能に関する学習のない技術教育などありえないのだが、意識的適用論者にかかると、技能を嫌うあまり、技能を教授している場面でさえも、これは技術の教授だと強弁することになり、その意識のなかから技能の教授が追放されてしまうのである。(中略)
最後はちょっと判断が早まり過ぎではないかと思うが、つぎのような点である。
(前略)ところでその後、事情は急速に変わっていった。意識的適用説のチャンピオンであるかの如くであった星野芳郎氏が『マイ・カー』を書いて「高度成長」を謳歌し、やがて反共主義者に転落にするに及んで、意識的適用説に対するある種の信頼感が急速にくずれていったこともそのひとつである。(後略)
以上で論争の主要な点が触れられていると思うが、この三つの点が実際にどうであるかを調べて見なければならないだろう。
特に問題なのは意識的適用説が本質的に技能を軽視するものであるかどうかであろう。説を主張する人もその説のためだけではなく、その人の本来の性質から逃れることはできないものだという気がする。
そうだとすれば、そういう制約から逃れられているのかどうかが説自身の成否以外に問題にされなくてはならないだろう。
これは私のたんなる考えたところであるから、まだ考えのたらないところもあろう。
少なくとも佐々木氏の論文から伺えたことは意識的適用説を唱えていた人で技術教育に携わっていた人の多くが適用説から体系説に自分の意見を変えたらしいということがわかった。そしてそれが佐々木氏の言う通りであるかどうかを実際に調べて見る必要があろう。
武谷氏とか星野氏とはある限れた人たちとの接触を除けば、技術教育からは遠かったとは言えると思うので、技能軽視の傾向はあったかもしれない。(武谷氏は看護師さんのグループと接触があったことは知られている。看護師にはある種の技術専門家として、看護技術が必要とされる)