物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

雑談会の準備

2015-11-27 11:46:40 | 日記
明日の雑談会の準備をしようと昨日していた。どうも私は関心がどんどん広がる傾向にあるようだ。ニュートリノ振動だけ話せばいいはずだが、どうもそのための必要以上の知識を話さないといけないのではないかと思ってしまった。

ちょっとそのことを朝食後に妻に話したら、必要最小限のことだけでいいのにと言われた。その通りである。しかし、いつも私には必要と思われることが少しづつ広がる。

ニュートリノに3種類あるということからはじまって、それとダブレットdobuletを組んでいる、レプトンを紹介したくなり、そうすると6つのクォ―クを紹介したくなり、ゲージ粒子を紹介したくなる。

それだけではない。力の強さがちがう4つの相互作用について話したくなり、また量子力学の基本法則について話したくなり、はては物理学の現在普通の大学で教えられている物理の内容の細部ではないが、一応の目次的な内容の紹介をしたくなるというわけで教師を何年もしていたという性(さが)はこんなところにも及んでくる。

それをどこかで断念する必要があるのだ。そうしないとニュートリノ振動の肝心のところの説明ができない。それはそうなのだが、やはり気にかかるところである。

どうしたものなのか

2015-11-27 11:22:23 | 日記
昨日ブログを書いたつもりで書かなかったようだ。このことを今日今やっと気がついた。

最近、人の名前を忘れる。妻の友人の名前を忘れる。いつも名前を聞いているのに忘れてしまっていることが一度や二度ではない。

こうやってだんだん認知症モードに入っていくのかもしれない。最近のNHKのテレビで認知症が予防できるとかなんとかいった放送が数回あった。

ドイツ語でもほぼ土曜と日曜とを除いてNHKの放送を聞いているのだが、昔はよく覚えていたと思う語を忘れてなかなか出てこないということがある。

人の名前は日頃つきあいのある人はもちろん忘れないが、一年に一回くらい会う人の名前を忘れるということがある。それとか都市の名前とか固有名詞がいけない。頭の中で忘れた固有名詞をそれを再度聞いた時にくり返すようにしている。そうしないと頭の回路が弱くなるのである。常に頭の中の回路を強くつながるようにしなくてはならない。